2010年3月号

諦めるのはまだ早い

待つことのできる先生になりたい…。シューカツで自分を見つめ直すうち、 いったんは封印していたその夢へ向かって歩き出した。
(文 杢田あゆみ/写真 森本 千晴)

 

JR学研都市線津田駅からバスに乗って山間へ続く道を行くこと約15分、氷室小学校がある尊延寺に着いた。氷室とはその昔、冬場にできた天然の氷を保管するところ。京都が都だったころ、夏場はここから氷が運ばれていったのだろう。
日曜日だからか、人の気配が感じられない。やっと見つけた人に場所を尋ね、小学校をめざす。旧集落の中に最近建てられた住宅が混在していてなんだかミスマッチ、なんて思いながら教えられた方向へ歩いていく。集落から離れ、山に続く坂道を数分登ると小学校が見えてきた。
氷室小学校は、2008年で創立100周年を迎えた歴史ある学校だ。白いペンキ塗りの明るい外観の木造校舎に入ると休日出勤の木山さんが出迎えてくれた。インタビューの場所は、彼女が担任されている6年2組の教室。サッカーの練習をしている子どもたちが窓から見える。遠い日が懐かしさとともに蘇ってくる。

 

ゴールのない仕事

着任してから4年になる木山さんに、小学校の先生の1日を聞いた。
小学校に着くのは朝の8時、始業時間の朝8時半から午後3時半まで授業がある。生徒はそれで解放されるけれど、先生はそれからも忙しいのだ。午後5時15分に会議が終わり、それから宿題のマル付けをしたり翌日の授業の準備などをしているとあっという間に時が過ぎ、学校を出るのはいつも夜の9時ごろ。早々に切り上げて家で仕事をする先生もいるが、その日の仕事は済ませて帰るのが木山さんのスタイル。どうしても積み残してしまう時は、今日のように休日出勤して仕事をする。もし自分が家庭を持った時、果たして仕事との両立ができるのか?と、木山さんはついつい考えてしまうという。
今の時代、どんな仕事も大変だが、教師という仕事もかなりハードだ。いじめや不登校といった問題や本来家庭で行うしつけまで要請される。それに加えて、教育という仕事はゴールがないし、仕事とプライベートの切り替えが難しい。それでも子どもたちと接しているとがんばってしまうのが教師という仕事。休みの日も、子どもたちが喜びそうな本を探しに本屋へ出かけたり、授業準備のために資料集めをしたりする。
「昨日も、子どもたちに平和について興味を持ってほしくて、ピース大阪に行って大阪大空襲の資料を集めてきました。これを見せたら子どもたちはどんな反応をするか、ちょっと期待しています」
プライベートで旅行へ行った時もクラスのみんなに写真つきで旅の思い出を話す。真剣に聞いてくれる子ども達を見ると、「今度はどんなおもしろいものを見つけてこようか」とわくわくするそうだ。

 

「まんべんなく」が活かせる

「父親が高校の物理の先生で、小さいころからおもしろい実験をよく間近で見せてもらい、先生ってすごいなーと思っていました。それが、先生という職業に興味を持ったきっかけです」
中学生のころ、苦手な科目もなくまんべんなく勉強ができていた。それもひとつの才能でそれが活かせるのは小学校の先生、と母親に言われた。小学校教員は、国語・算数・理科・社会といろんな科目を教える、それにオルガンを弾いたり児童と運動をしたりと、マルチタレントなのだ。このひと言が小学校教員という仕事に興味を持つきっかけとなった。
そして、高校2年生の時、先生になりたいと思う出来事が起こる。

 

待つことの大切さ

木山さんには2歳年下の弟がいる。小学5年生から中学3年生までの5年間不登校だった彼が学校へ行くきっかけを作ったのが、中学生の時の担任だった。先生は、毎日のように家に来て、小1時間ほど話し込んで帰っていく。しかし「学校に来い、勉強しろ」とはひと言も言わなかった。担任としては進路も気になっていたはずなのに、その話にもまったく触れなかった。ある日、先生は木山さんに言った。
「学校に行かないからといって何もしていないわけじゃないし、何も考えてないわけじゃない。早く成長する人もいれば、ゆっくり成長する人もいる。教師や周りはただ急かすばかりではなく『待つ』ということも大事なんだ」
いじめや喧嘩ではなく、ただサボっているだけ、現実から逃げているだけと周囲から見られていた弟。当時はそんな弟を恥ずかしいと思っていたこともあった。だが、先生の言葉を受け、待つことの大切さに気づいていない自分を情けなく思った。待つということは、心の底から信じていないとできないこと。先生は真剣に向き合ってくれ、信じていてくれた。
>  弟は中3の2学期から少しずつ学校へ行くようになった。そして自分から「進学したい」と言って高校に進学した。
「時にはじっくり腰を据えて『待つ』ことのできる先生になって、弟のような子の力になりたい。このことがきっかけで、教師になろうと真剣に思いました」  大学は、小学校教員免許が取得できる学校を受験したが失敗し、人文学部に入学した。当時の人文学部は、中学校と高校の教員免許しか取得できなかった。そのため、小学校教員への夢は封印した。

 

内定を蹴って教員への道へ

大学時代は4年間ラクロス部に所属。勉強と練習に没頭する日々を送っていた。それに加えて飲食店でのアルバイトも4年間続けた。
「試合が終わってすぐにバイトということもしょっちゅう。忙しいけど、苦痛だとは思いませんでした」
ラクロス部に入部する学生は未経験者がほとんど。だから細かいルールや技術を丹念に先輩から後輩へ引き継ぐ。キャプテンだった木山さんはこの責任者だった。自らが他の大学へ足を運び、コーチから指導を受け、それを部員に教えた。
「知らなかったことを知る喜びも4年生になると就職活動をしてあったし、自分が伝えたことを実践してうまくなっていく後輩を見ることもうれしかった。キャプテンという立場だったから責任もあったが、指導することの楽しさと難しさの両方がありました」
野を広げた。しかし、なかなかフィットする仕事に出合えず、ほんとうに自分がしたいことは何か、ということを真剣に考えさせられた。
「就職活動をしたことで小学校の先生になるという夢が蘇りました。しかし、小学校教員への道は平坦ではありませんでした」
最終的に内定を辞退し、小学校教員免許が取得できる通信制の大学へ編入する。 通信教育課程では、教科書を読んで、レポートを提出するということを繰り返して勉強する。
「朝から図書館で約10時間勉強、それから塾講師のバイト。家に帰ってまた勉強の毎日でした。半年後に迫っていた教員採用試験の勉強も並行してやっていました。この1年間は、それまで生きてきた中でいちばん勉強したと思います」  夏期の2週間はスクーリングといって、図工や音楽、体育などの実技教科について、大学での集中講義も受講した。
「小学校の先生という同じ目標を持った人達と、理想や教育観などを話し合えた貴重な二週間でした」
体育ではマット運動やダンス、ウォークラリー、とび箱などの実技、図工では、粘土やダンボールなどを用いて作品を作った。
「実際に子どもの立場になって体験することで、自分ができない時には先生がどう教えてくれたら答えが出せるか、というのを楽しみながらも子ども目線で学ぶことができていい経験になりました。体力には自信があったので、体育は何の問題もなくこなすことができたのですが、図工はかなり苦戦しました」

 

初日に冷や水を浴びせられる

通信制大学に入学した2005年に、卒業見込みというかたちで夏に行われた小学校教員採用試験を受け、見事合格。翌年4月から枚方市立氷室小学校に赴任。教師になって初めて受け持ったのは2年生。赴任初日から現実にぶちあたる。
始業式の日に、席の位置が気に入らなかった生徒が掃除道具入れに立てこもったのだ。木山さんは、2年生の子どもだから優しくしないと、と思って声をかけて説得したが、出てこない。見るに見かねた隣のクラスのベテラン教師が来て、一喝。するとその子は素直に出てきた。
「8歳の子どもに試されていたんだな、と痛感しました。現実とのギャップに一撃をくらい、この仕事への不安が大きくなりました」
大人はたいてい相手に言われたことは一度で理解できるが、子どもは理解するまでに時間がかかる。どうすれば子どもに上手く伝えることができるのだろう、と考える日々が続いた。
「怒る時は目を見て真剣に怒ることが大事だと気づきました。挨拶、姿勢、忘れ物ひとつにしても一度見逃してしまうと子どもは楽なほうに流れてしまう。だからダメなものはダメ、とひとつずつしっかり教えるようにしました」 慕ってくれる子どもたちに助けてもらうこともある。5年生の担任をしていた時、親しい先輩の訃報が飛び込んできた。平静を装って授業をしていたつもりでも、いつもと違う先生の様子に子どもたちはすぐに気づいた。そのため急遽授業を中断し道徳の時間として事情を話すことにした。
「そこでは命の大切さを話しました。『つらい時は泣いていいんだよ。僕たちは先生が泣いているのを見ても別になんとも思わないから』と励まされて、つい涙を流してしまいました。この時は思いやりのある子供たちに助けられました」
最後にあらためて大学の4年間を振り返ってもらった。
「部活の先輩や後輩、そしてアルバイト先のお客さん、年齢や世代の違う人々と語り合うことで人それぞれいろんなものの見方があると思いました。ゼミの先生である熊田先生との出会いも貴重でした」
大学での充実した人間関係を通じて身につけた人との接し方が、人づきあいの基本になっているという。
「人文学部に行ったことによって通信制の学校へ通うという回り道はしましたが、今では逆にそれがよかったと思います」
受験で失敗して挫折しても、ブルーになる間もなく次々に行動していく木山さん。ひとつひとつのエピソードを聞いていると、失敗を恐れて行動できないでいる自分が恥ずかしくなったけれど、今回取材させてもらって「なるほど!」と思ったことがある。それは、「たとえ失敗しても、とり返せばいい」ということだ。取り返すことができるのなら、失敗も恐れることなんかないんだ。

 

 

小学校教員になるには

小学校の教職課程がある大学や短大で必要な単位を取得して卒業すると、教員免許が与えられる。教職課程がない学校を卒業した場合、卒業時に授与された学位を基礎資格として教員養成課程のある学校へ編入し、免許取得に必要な単位のみを履修することも可能。
教員として公立の小学校で働くには、教員免許を取得したうえで、各都道府県の教員採用試験に合格しなければならない。ところが採用試験に合格したからといって、必ず採用されるというわけではない。試験に合格した人は「小学校教員として採用される資格を得た」ということになり、都道府県別の教員候補者として名簿に名前が登載される。そして、小学校に欠員が出るのを待つ。欠員があった場合にはじめて、面談があり、それに合格すると、晴れて常勤の小学校教員になることができる。現在人文学部は、神戸親和女子大学と協力連携し、在学中に通信授業やスクーリングにより必要な単位を修得することによって、卒業時に小学校教諭一種免許が取得できるプログラムを用意している。