2012年12月号

アートと心理学で育む

絵画教室を開き子どもたちに絵を教えるかたわら、心理学を学ぶために、
一念発起して神戸学院で学び大学院に進学した先輩がいる。
(文 原塚 奈々美 / 写真 金本 夕貴)

 

山陽明石駅から普通電車で3駅目。乗車時間約5分、西舞子駅へ到着。ホームページのマップによると、改札を出てそこから北へまっすぐ徒歩2分とある。が、本当にこんなところに絵画教室があるのだろうか。西舞子駅を出て北へとまっすぐ続くこの道は、車一台ぶんしか通れないような狭い路地だ。
左手にはうどん屋さん、花屋さん、お好み焼き屋さん・・・人通りのない道をきょろきょろしながら進めば、薬局のとなりに、ピンクの壁に白い屋根、ガラス戸一面に所狭しと絵が貼ってある元気な建物が目に飛び込んできた。看板には「一般社団法人 絵画教室 あとりえクルレ」。思い切って中へ入ると、赤堀さんが笑顔で私たちを迎えてくださった。

 

絵画教室あとりえクルレ

「ずっと進学塾の講師をしていたんですね。でも、あまり楽しいとは思えなくて。それで自分はいったい何がしたいのかと考えた時、まず頭に浮かんだのは絵のことでした。そこからはもう、早かったですね」
美術系の短期大学を卒業していたこともあり、とりあえずは塾講師と同時進行で週に1回という思いつきから「あとりえクルレ」は始まった、25年前のことである。最初は土曜日の朝から夕方まで、趣味の延長線上のようなものだった。それがどんどん生徒が増え、気づけば絵画教室が本業になっていた。
「最初は自分が絵を描く場所を確保したくて、その傍らで子どもが絵を描いていてもいいなという感じで進学塾の講師という仕事の気分転換として絵画教室を開いたんです。聞いてから2年たった頃ALSのお子さんを持つ親御さんが、うちの子でも絵が描けますかと訪ねてこられました。この出会いがなければクルレは社団法人にはなっていなかったかもしれません」
その生徒の描く絵は2002年にミキプルーンのカレンダーにも選ばれ、個展を聞くまでになった。現在、彼は京都大学で数学の研究をしているそうだ。
「筆さえ持つことができればあとはどうにかなる、何ができるかはわからないけどいろいろとやってみよう」そう思ったのにはわけがある。赤掘さんが小学生の頃、障害者の妹を持つ友達のところによく遊びに行き、妹の話し相手にもよくなった。「もしかすると絵を描くよりことばを持たない人とのコミュニケーションが得意かも」と今でも思っているという。
「クルレは別に特殊な教室ではありません。アートがしたいと来ている人をお断りする理由がないだけなんです」
そんな教育方針の赤堀さんのもとには障害を持つ子どもたちもどんどん集まってきた。そんなこども達が大きくなっていく中で、大人になってもいつでも来られる場所を作ろうと思ったのが、絵画教室を法人化するきっかけだった。

 

3歳から97歳まで

「シーサー」作りに挑戦。

「美術に関することはなんでもやろうという考えなので、今月はどんなことをしようかと毎月スタッフ同士で案を出し合って決めています。スーパーボールに絵の具をつけてそれを紙に投げつける版画とか、優劣があまりつかず誰がしても楽しめておもしろいものに仕上がるものは、最低でも月に一度は入れたいと思っています」
一番下は3歳から85歳まで、西江井ケ島病院デイサービスの出張絵画教室の生徒さんも含めると一番上はなんと97歳。あとりえクルレには本当にいろんな人がいる。定型発達の子も、発達に障害のある子も肢体不自由の子も・・・。
芸術は感情の対話、この感情にこそ色が出るのだという。それは喜びであったり、悲しみであったり、怒りであったり・・・。「一人ひとりの出す色は同じように見えても実は全く違っていたりする、それを見逃したくない」---赤堀さんがあとりえクルレで25年間大切にしてきたことはそういうことだ。
西江井ケ島病院で赤堀さんが取り組んでいるのは、介護が必要なお年寄りのための芸術療法だ。赤堀さんが用意するメニューのひとつが塗り絵。下絵は例えば秋なら柿の実など四季を感じさせるものがモチーフになっている。
「色を塗るという行為を通じて対象物に向き合う中で、こころにしまい込まれていた風景が色鮮やかに蘇ってきます。生きる喜びや楽しみが感じられてこそ、生きる力が湧き、治療に対するモチベーションが上がります」
この週に一度行われる美術専門家の視点を生かした絵画療法を心待ちにしているお年寄りは多い。

 

共通言語を増やすため大学院へ

子どもたちの親御さんたちとも話す機会が増え、”人を理解することの深さ。”という問題にぶつかった。障害をもつ生徒本人やその親御さんのしんどさは、ずっと絵画教室の先生をしていてもわからなかった。
「同じ立場にいるわけでもないのにその気持ちわかります、なんて言ってはいけないと思ったし、そもそもわかりあえるはずもなかったんですね。だったら私にいったい何ができるのか。せめて共通言語だけでも増やしてみよう、そう思ったのが大学へ行くようになったきっかけです」
神戸学院大学の人間心理学科に科目等履修生で通いはじめて3年目、このままいけば学位を取得するのに必要な単位をほとんどとってしまうのではないかということに赤堀さんは気づいた。それと同時に大学院に進むことも意識しはじめた。
「教室や家事の合間をぬって有瀬キャンパスに通いました。心理学の科目以外ではリハビリテーション学科の授業も取りました。心理学の授業を受けて浮かんだ考えを行動に移すのにこの分野の学問が役立つんです。心理学とはまた違う方向から物事を見ることで、社会の仕組みが以前よりもわかるようになりました」
大学院へ進学する事を決めた赤堀さんは、まず受験資格を得るための所用単位を修めた。その後は、大学院の試験だ。神戸学院大学大学院の心理学専攻を目指して受験勉強に励んだ。ちょうどその頃、ご主人が入院した。いくら受験とは言え、家族がいちばん。絵画教室が終わると、毎日病院に駆けつけ、病と闘うご主人に寄り添った。
「眠る時、枕元に本とノートと筆記用具を置いて部屋を明るくして眠るんです。夜中とか朝方に目が覚めると、すぐ勉強できるように」
寸暇を惜しんでの受験勉強の甲斐あって、大学院の一期生となる。
大学院での研究テーマは「描画発達」。定型発達の子どもの描画の持つ特徴を自閉症児は持たないのではないかと、赤掘さんはアトリエくるれでの経験知をもとにさらに深く掘り下げ、『自閉障害者の描画能力の発達に関する事例研究』という修士論文にまとめた。
思いついて科目等履修生となり大学院を卒業するまでに5年半の年月を要した。もちろんその問も絵画教室を開いていた。そして、ご主人の病気というアクシデントにも見舞われ、疾風怒濤の院生時代だった。
「大学院で専門的な知識を身につけ彼らとの共通言語を増やしたからといって、当人たちの気持ちがわかるようになったわけではない。私はやっぱり当人ではないから。だからといってまったくわからないという段階から一歩進んで、しんどさがわかるかもと思えるようになりました。この”かも”が大事なんですね。”わからない”ということの『わからなさ具合』をお互いに少しは理解できるようになったのではと思います」
わからなさ具合をいかにお互いでわかりあうか、「わかることを提供すること」がお互いに楽しくもあり、これを探るのが仕事なのだという。

 

のら仕事隊プロジェクト

毎週日曜日の午前中は神戸市西区伊川谷櫨谷町にある農園で、「ど素人集団」が畑作りに励んでいるそうだ。この「のら仕事隊プロジェクト」とは発達に障害を持った中高生のための就労支援でもある。「発達に障害を持った生徒は、アルバイト経験のないまま突然社会へ、というパターンが多いので、この畑仕事がアルバイトのような就労体験になればと考えています。まだ利益もほとんど生まれていないので、働いた後はお給料の代わりに自分たちで収穫した野菜を持って帰ってもらっています。仕事をサボっている時には今日の野菜ないよ!とクギをさすこともたまにあるんです」
タマネギや無臭にんにく、サツマイモにホウレンソウ、落花生など、この農園でできた作物は無農薬。朝市で販売したりもするそうだ。みんなで育てた野菜をみんなで収穫して時間が合う日にはみんなで売りに行く。園芸療法ではなく本気の農業、それが「のら仕事隊プロジェクト」だ。
「本業は絵画教室の先生でありたいと思っています。福祉ではなく、医療でもなく、支援ではなく文化の発信」
赤堀さんはこのことを何度も言った。人間文化の開拓、これこそが地域力に繋がっていく。「私はこの地でやっていくんだ」という熱い思いが伝わってくる。
「生徒に対してはいつでもとことんまっすぐ直球勝負でやっています。全力すぎるぶん、打ち返された時の衝撃も大きいんですが。それでも私は彼らが10年後、いっしょにごはんが食べられるような人聞に育ってくれたら、と思いながら今日もあとりえクルレなりのアートで対話します」
何事にも迷う前にまず行動、とりあえずは一生懸命やれるだけやってみる、そんな赤堀さんだからこそ心に響く言葉がたくさんあった。私にとって”とことんまっすぐ直球勝負”で頑張れること、頑張りたいこととは何だろうか。早く私も私のいちばんを見つけたいと強く思った。

 

【ALS】
全身の運動神経が侵され、筋肉が萎縮(いしゅく)していく進行性の難病。徐々に体が動かなくなり、呼吸困難に陥る。この病気にかかった大リーガーの名から「ルー・ゲーリッグ病」とも呼ばれる。宇宙物理学者ホーキング博士も患者の一人。国内の患者は約7700人という。

 

 

あとりえクレル
〒655-0048 神戸市垂水区舞子3-7-22
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kurure/
現在教室は火曜日を除いて月曜日~金曜日の午後3時~18時頃までと、土曜日の午前9時~12時までが小学生以下、
中学生以上は土曜日の午後2時半~18時までの週5日。