2004年9月号

英語屋という生き方

「好きなことがなんでもできる!」 そんなキャッチに惹かれて選んだ人文学部。しかし、その選択肢は多すぎた。どうしていいか分からず、ただ過ぎ去った一年半。不安と焦りを胸に、松江に飛んだ。
(文 富田奈津美)

 

「…では質問を始めさせていただきます。まず、人文学部に進まれたいきさつを教えてください。」
一番初めの質問を投げかけた。ここは島根県松江市のおしゃれなカフェ。斜め前に今回の取材相手が座っている。私はメモを取るため、ボールペンを鳴らす。
「高校一年の頃から、進学するのは神戸学院大学の人文学部と決めていました。あの頃の僕は人文なんて言葉聞いたことがなかったから、ナゾめいているところにもとても惹かれたんです。それで資料を取り寄せてみて驚いた。人文学部というひとつの入り口から、色々な学問領域に限りなく枝分かれしている。ここなら好きなことを好きなだけ学べる、そう感じたんですね。」
同じだ。私もそう思って人文学部を選んだ。それはたしかにおもしろそうだが、どこか漠然としていて、言ってみれば得体の知れない学部。「何する学部?」と聞かれても、ひと言で答えられる人はなかなかいないだろう。しかし、数多くある学問領域の中から自分が興味を持った分野をいくつでも学ぶことが出来るところが魅力でもあるのだ。

 

純朴そうな生徒が質問しにやってきた。慣れた手つきでホワイトボードに英文を書く。教師という表情に一瞬で切り替わった。(講師を務める予備校にて)

しかし私は今、戸惑っている。確かに魅力だった「幅広い学問領域」という空間。その何本もの枝分かれした道の中で、気がつけばどこへ向かって進めばいいのか判らなくなっていた。私は人文学部という枠組みのない海に呑まれてしまったのだ。
「大学に入学されてどうでしたか?」用意した質問を続ける。 「イメージ通りでした。強要される勉強じゃなくて、自分で好きな授業を選べたので、勉強はとても楽しかった。朝から晩まで授業がつまっていたけど辛くはなかったですね。」
驚いた。この人なら私の知らない人文学部のつかみどころを知っているのかもしれない…。

安達功太、現在27 歳。1995年、人文学部人間文化学科に入学。学生時代、神戸に下宿していた彼は、奨学金をもらって入学した身でもあり、友達にお米を分けてくれと頼むほどの貧乏学生。

しかし、全共闘世代の「カネはなくても熱いココロを持った学生」に憧れていた彼は、当時その生活をあまり苦しいとは思っていなかった。朝から晩まで授業なので、サークルやクラブに入っている余裕はない。ただ純粋に学べる場という大学がおもしろかった。
精神的充実とは裏腹に金銭面では厳しかったことに変わりはない。そのため自由のきく夏休みや春休みを利用していろんなアルバイトを経験した。

 

 

 

昨日の自分が恥ずかしい

入学当初、色々な講義を受けていく中で「昨日の自分には無かった知識」が増えていることを実感したという。そんな思いから、学生生活を有意義に過ごすために「昨日の自分が恥ずかしい!と思えるような毎日を過ごす」という心がけが生まれた。それからというもの常にそうすることで、学問だけでなく人間関係や、その他すべての事柄についても意欲的になれたと彼は話す。中でも一番、積極的に取り組んだ学問がドイツ文学であった。この学問には高校生の頃から関心はあったが、大学時代に西洋文化コースを専攻したことによって、その興味は一層深まった。
四年生になった彼の卒論テーマは、「『ヴェルズンゲンの血』の発禁理由に隠された 真のモチーフについて」。ドイツの作家、トーマス・マンの短編小説である。彼の卒論を書くプロセスは変わっていた。卒論作成に入る以前から、関連書物や論文を手当たり次第に読んでいた。そこでなんとなく考えていたことを、「書く」という行為でまとめていく。そのあとで、信憑性を高めるために、この考えは誰のものであったかなどを資料と照らし合わせていったという。考えてみればこのやり方が、一番自然でムリのない方法なのかもしれない。
卒論指導に当たった南森教授は語る。「一人で黙々と進めていましたから、特に指示することはなかったですね。しかしそれでいて、どこか安心できる学生だった。結果として、出来上がった論文もかなり高い評価でしたし。」
実はその頃、彼は焦っていた。高校からの夢は「英語教師」だった。しかし、在学中すっかりドイツ文学の虜となってしまった彼は、三年間英語の授業を選択していなかったのだ。「昔から結構、英語が得意だったので、なんとかなるだろうってナメていた部分もあったんでしょうね。」と、笑って話す彼だが、三年間のブランクというのは予想以上に大きかった。今からまともに勉強しても教員採用試験までには、絶対に間に合わない…考えた末に思いついた勉強法は、インターネットによるアメリカ人とのチャットだった。

 

ネットで浴びた本場の英語

「子供ってからだ壊すほどゲームをやるでしょ。とにかく遊んでいるのか勉強しているのか判らないくらい没頭できる方法を選びました。」勉強は好きだが、いつも遊び心とオリジナリティを持った学生であった。
とりあえず、基本的な英語を勉強する一方で、チャットに挑んだ。もちろん専門用語が必要な内容になると単語力が追いつかないので、ただヒマな人間が集まるツーショットチャットを選んだ。
「アメリカ人のフリをしてみたんですけど、すぐにバレてしまって。日本人の英語って正しすぎたんですね。ネイティブの人たちの英語って「YOU」を「U」と表したり、大文字小文字の区別もなかったり。それからはネイティブの人たちが使う英語の書き方を研究しました。まぁ、それでもやっぱり『君はホンコンからかい?』と返されてしまったんですけど(笑)。」
そして迎えた教員採用試験。書類審査に自己PR論文、それから筆記テスト、リスニングテスト、英語での面接に加えて模擬授業、最後に日本語での面接へと続く。発音の練習だけはチャットでまかなえなかったので、ケアンズ教授に頼み込んで、指導を受けていた。チャットでのくだけすぎた英語に慣れていたため、文法の組み合わせが怪しかったものの、模擬授業や面接で筆記をカバーした。そして、彼の持ち合わせた、実力、才能、それから幸運の女神も味方して、倍率60倍の採用試験に合格したのだった。

 

安定を蹴って野に下る

1999年、出身地である松江市の私立高校に英語教員として赴任。ずっと夢だった学校教師。しかし彼は葛藤していた。実際、教師としての仕事内容は英語を教えることだけでなく、進路指導も重要であった。高校を卒業すればそのまま社会に出て働く生徒もいる。自分は大学を出てすぐ教師になった身。社会の厳しさを知らない人間が、生徒たちに実社会の指導なんてできるのだろうか…。それに自分が今教えている英語が、受験のためだけでなく異文化コミュニケーションの道具として教え子たちに役立ててもらえるのか。
そして彼は周りの反対を押し切って二年で学校を退職する。始めたのはフリーの翻訳家。日本向けに販売されるアメリカのコンピュータソフトの説明書の翻訳を中心に扱った。まず、インターネットを通してアメリカのソフトメーカーにメールで問い合わす。そこから、企業が翻訳業務を任せるかどうかを決定する「トライアル」という試験に合格すれば仕事が貰える仕組みだ。また、その傍らで予備校教師も勤めた。やはり、学校を辞めた後でも英語教育には何らかの形で携わっていたかったのだ。
現在、彼は自らを「英語屋」と呼ぶほど、生活の中心に英語がある。予備校に昼の2時から勤務し、10時に帰宅。そして深夜12時頃から早朝6時まで翻訳業務のためパソコンに向かい、7時に就寝。そしてまた昼の2時から予備校に通う。他人から見れば無茶苦茶なサイクルだが、彼は涼しい顔をしてこう言った。
「辛くはないですよ。むしろ充実している。始めは力の入れ具合が分からず、全てのことに全力だったけど、今はペースを掴んだ分、仕事に対する体力配分がうまくできるようになってきましたし。それに自分にとって一番無理のないこと、好きなことを仕事にしているんで、休みながら仕事している感じかも。」

 

英語屋の道を往く

「今後は、どう進まれる予定ですか?」
最後の質問。メモ帳をめくる。「技術の進歩が目まぐるしい現代において、IT翻訳の仕事を続けることは難しいかもしれない。あと5年先のパソコンの形すら想像がつかない時代の中で、コンピュータ業界からするとすぐに古い人間と言われてしまうだろうからね。だから今は英語屋としてのキャリアのひとつを積んでいるにすぎない。最終的にはきっと、僕はまた英語教師という職業に戻っていくと思うから。」
道はひとつではない気がした。私は人文学部の「好きなことが好きなだけできる」という魅力が、逆に不安で仕方がなかった。しかし、たまには見返りを期待しない興味に没頭してもいいのではないだろうか。もしかすると、好きなことを好きなだけやれる時間が、将来の何かに繋がっているかもしれない。たとえ遠回りだとしても、前へ進む方法はいくらでもあるはず。何故なら、ここは様々な領域に繋がる人文学部なのだから。
山陰地方にある松江市は、年中曇っていることが多いそうだ。
「梅雨時にこんな青い空は久々に見ました。今日はほんとに珍しいんですよ。」
ふと空を見上げる。曇りがかった空は、差し込む太陽の光をきっかけに瞬く間に晴れ渡る。私の心にも一筋の光が差し込んだ。分厚い雲は、やがて青い空に追いやられていった。

 

 

卒論ダイジェスト

トーマス・マンの短編小説 『ヴェルズンゲンの血』について
『ヴェルズンゲンの血』。発表当時「近親相姦」と騒がれたトーマス・マンの短編小説を題材としている。安達さんの着眼点は面白い。双生児の近親相姦的な兄妹愛を描いているという見解に対し、「二人の間には愛は成立していたのか」と投げかけている。
妹を愛することで自己を愛す兄。兄を愛す妹。二人の愛の異質性と、兄のナルシシズム的行動を指摘している。
第四章では、フロイトが確立したナルシシズムに言及し、<幻想我>と<現実我>の対立概念をあげている。個人が未発達で唯一無二の存在である<幻想我>。それに対し<現実我>は、個人が心身ともに発達し、他者と現実に限定される相対の世界に生きている状態だそうだ。トーマス・マンはナルシシズムというモチーフを通して、<幻想我>と<現実我>の対立概念を我々に投げ与えているのではないかと述べられている。
最後に、ナルシシズムという<幻想我>と妹の婚約という<現実我>に苦悩する兄の姿こそ、『ヴェルズンゲンの血』の真のテーマだとされている。そして、この二極の対立がトーマス・マンの「精神」と「生」の対立概念にも通じていると論じられている。

TEXT 福田さゆり