2004年4月号

本当にやりたいことは、机の上にはなかった。

在学中、こともあろうに先生に説教をし、大学院に進みながらも方向転換し、「園芸療法士」をめざす元気な女性がいると聞いた。それにしても庭いじりで病気が良くなるって?首を傾げながら取材をはじめた。
(文 沼尻貴史)

 

寒い和歌山とアツイひとたち。

JR大阪駅から電車に揺られること約2時間、和歌山県は御坊駅で電車を降りる。めざす場所は、駅からクルマで15分のところにある、特定医療法人黎明会・介護老人保健施設『和佐の里』。西村さんは今日、そこにいるという。和佐の里は近年その需要が急速に高まっている、「介護老人保健施設」のひとつ。園芸療法をはじめとした各種療法やアロマテラピーなどを積極的に取り入れている。
和歌山は温暖な気候で知られるが、12月も後半となればさすがに寒い。震えながら和佐の里に着いた私を、ジャージ姿の西村さんが笑顔で迎えてくれた。実は私はお年寄りの施設という所に今まで入ったことがない。やや緊張気味に中に入ると、お年寄り方はそんなこちらの緊張などどこ吹く風、ゆったりと椅子に座りノンビリしている。この日は、施設のクリスマスパーティー。職員の方が忙しそうにパーティーの準備をしていた。そして、私たちは施設奥にある園芸部の事務所に向かった。
事務所は、まるで農業用具の倉庫のようだった。中に置かれているものは、肥料の入った袋、クワといった道具類。聞けば、すべて園芸療法に必要な道具なのだそうだ。
「園芸療法って、外に出て体を動かしてなんぼ、ってところがありますからね。畑で作業することもありますし、自然とこういう道具が増えて来るんですよ。」そう言ったのは、西村さんの傍らにいた小柄な女性。田崎文江さんは、西村さんが師と仰ぐ園芸療法士だ。この日西村さんが和佐の里を訪れていたのは、田崎さんから園芸療法のプログラムのアドバイスを受けるためである。お二人の話の邪魔をしないようにその様子を眺めていた、そのときだった。
事務所のドアを開け、元気に入ってきたのは数人のおばあちゃんたち。年のころは80歳前後といったところか。腰が曲がって、杖を突いておられる方もいる。彼女たちは、週に一度この施設のデイケアサービスを利用しに施設のマイクロバスに乗ってやってくるそうだ。なるほど、そういえば最近街中でよく見るお年寄りはこういうところに来ているんだ…などとひとりで納得していると、彼女たちは手に持った袋を見せた後(中には玉ねぎの苗が入っているらしい)、「これから畑行って来るわー」とワイワイ言いながら外に出ていった。
「ちょっとお手伝いに行ってきますね。」そう言って事務所を出ていく西村さんの後を、慌てて追いかける。園芸療法の現場を見る絶好の機会、逃すわけにはいかない。
私が畑についたとき、もうおばあちゃんたちの作業は始まっていた。手馴れた早さで苗が畑に植えられていく。腰が曲がっていたおばあちゃんもシャキシャキ動いている。手伝っている西村さんや田崎さんよりもずっと早く。その動きにちょっと圧倒されてしまった。西村さんも、田崎さんも、苗を植え終えたおばあちゃんたちも、みんな顔が生き生きとしている。凍てつくような寒さがすこしほころんだ気がした。

 

大学、そして大学院… 迷いの日々。

西村こころさんという人は、どのような学生だったのだろうか。
高校時代、友達の悩みを聞く機会が多かった彼女は、大学で心理学を学んで、「その道を極めてみたいと思った」と言う。しかし1年が過ぎるころ、その気持ちは揺れていた。
「心理学って、実験・調査の占める割合がけっこう大きいんだな、と感じたんです。もちろん、私が思ってたような、人の話を聞いて…みたいな面もありますよ。でも、それがすべてじゃない。あの時は、想像していた事と現実とのギャップに悩んでたんだと思います。」
そして、心理学の他にも興味の持てる分野に出合った。環境学である。「担当の大塚先生の講義がとても面白かったんです。高校の時にあった理系への苦手意識が、先生の講義を聞いたらちょっとマシになりましたね」と、彼女は笑いながら言った。
とはいえ、大塚先生の講義は文系の道を歩んできた彼女には難しい面もあった。1年次後期の半ば頃、「もしかしたら授業についていけなくなるかもしれない」と思った彼女は、質問をしに先生の研究室を訪れるようになる。そして2年次の後期、専攻演習選択決断のとき、彼女が選んだのは環境学のゼミだった。
「授業に5分遅れて行ったら文句言ってきよった(笑)。『半期の全部の授業で5分遅れたら60分も無駄になるんですよ!』って計算までして。一途な学生だったね。」と当時を振り返って大塚先生は語る。

 

 

 

4年生になり、卒論作成の時期を迎えた。故郷である岡山市内を、真夏の暑い盛りに自転車で走りまわり、綿密な気温データを集めていき、緑地の有無が気温上昇にどのような影響を与えるかを事細かに検証していく…というのが彼女の卒論だった。その成果は、指導にあたった大塚先生も「良く出来た卒論だった」と言うほどのもの。しかし、彼女自身はまだ満足していなかった。
「調べていけばいくほど、環境学って奥が深いものだな、と思えてきたんです。私かやったのは、細かいデータを集めて、それを科学的に検証して…っていう事。でも、植物って私たちにとってすごく身近なものでしょう?

おばあちゃんたちと。右端が園芸療法士の田崎さん。

人と植物の関わりについてもっと深く掘り下げてみようかな…って思って、大学院に進む事にしたんです。」
大塚先生の勧めもあり、その分野に詳しい先生がいる京都府立大学大学院に進んだ。彼女がそこで始めたのは、「園芸福祉」という分野の研究。植物が我々にどのような効能を与えるか(ストレスの解消など)を調査、検証する。その過程で、「園芸療法」というものに出合う機会を得た。園芸福祉を語るには、園芸療法の知識も必要-そう考えた彼女は、わずかな休みを利用して講演会に足を運ぶようになる。田崎さんの講演会も、そのひとつだった。  「田崎さんの講演会は、とにかく現場の声がたくさん感じられるものだったんです。それまで知識として持っていたものが、どう現場で活かされているか、そこで初めてわかったというか…。その話に出てくる園芸療法の様子も本当に面白そうで、とても魅力的でした。私か本当にやりたいことって、こういう事なんじゃないかな…と考え始めるきっかけになりましたね。」
院での研究に疑問を感じるようになって来たのもこのころだ。机に向かい、データを検証していく毎日。学会で繰り返される、研究結果の発表、議論。しかし、目を見張るような成果ははっきりと見えない。研究の場で「これは効く、あれは効かない」といった論争が繰り広げられている間にも、実際に治療が必要な人たちの症状はどんどん進んでいく。そこにジレンマを感じ始めていた。「現場に行きたい。」その思いは、田崎さんとの出会いを境にどんどん強くなっていった。
大学院に入り、1年が過ぎた。この時、西村さんはある決心をする。「とにかく、1ヵ月、現場を見に行こう」。院も2年になれば、修士論文や就職活動に追われ自由な時間はほとんどなくなる。その前に、自分のやりたいことをやっておきたかった。向かった先は、もちろん田崎さんの働く「和佐の里」だった。
和佐の里での1ヶ月間の研修を終え、再び大学院での生活に戻った西村さん。しかし半年がすぎても、園芸療法に対する思いは薄れるどころかどんどん強くなっていく。園芸療法について「研究」するのではなく「勉強」したい…そう思った西村さんは大学院を1年間休学し、田崎さんのもとで園芸療法の勉強をはじめる。そして1年が過ぎた時、正式に院を退学した。

 

みんな同じいのちなんだから。

話は再び今に戻る。畑での仕事を終え、私たちは事務所に戻った。
「今日来てくれたおばあちゃんたちは、週に一度ここに来て畑をいじったり、いろんなプログラムに取り組んでおられます。でも、この施設で暮らしている人たちは、身体が不自由な方もいらっしゃいます。だから今日みたいな寒い日はたいへん。でも、そういう『寒さ』を感じたりするっていうのも、とても大事なことなんです。園芸療法って、植物だけじゃなくて自然そのものを体で感じるという部分がとても大切ですから。そうやって、『生きてる』という事を感じてほしい。ゆっくり、ゆっくりとこころを穏やかにしていってくれれば、それが幸せにつながるんじゃないかな、って思います。」
おだやかに、でもしっかりとそう話してくれた西村さん。現在は園芸療法に関わる仕事に就くべく勉強を続けているが、資格の取得にはこだわっていないと言う。
「なにがなんでも資格をとるぞ、という考えは今はないんです。一度働いてみて、必要だと感じたら資格を取ろうかな、ってくらい。資格にこだわって、肝心な部分を見逃すのは嫌ですしね。先生は植物であり、自然であって、人間はその前では平等ですから。」
そして傍らで話を聞いていた田崎さんが、園芸療法について語ってくれた。
「人間は社会的動物っていうでしょう? お年寄りの方っていうのは、言ってみたら社会からちょっと外れたところで暮らしている人たちなわけです。老人福祉施設で暮らしている方たちは、特にそういった意味合いが強いのかもしれない。でも、社会的動物である以前に、人間もひとつの命。植物を世話していると、芽が出て、花が咲いて、枯れて…でもまた、種からは新しい芽が出てくる。そういったものを目の当たりにすることで、お年寄りはとてもおだやかな気持ちになれる。それが、園芸療法にとって一番大事なところなんですよ。」
春からは「特別養護老人ホーム紫野」に就職し、ケアワーカーとして働きながら園芸療法に取り組んでいくという西村さん。これからは今までに経験した事もないことに何度も出会うかもしれないが、きっと彼女は乗り越えていくだろう。人が好きで、植物が好きで…そして、それらが尊いものであることを知っているから。そして、それこそが本当に大事なことだと思うから。
おぼろげだった園芸療法というもの、そして西村さんがめざしているものが、ここに来てようやく見えたような気がした。

 

 

卒論ダイジェスト

岡山県の都市緑化について

快適な街づくりのために「自然と人間の共生」をひとつの大きなキーワードとして、街における自然の構成要素のーつである、「緑地」に着目している。内容は緑化の意義、概念、歴史、調査やデータ等を詳細に提示し、様々な観点から論じている。綿密な実地調査データをもとにした、卒論としてはオーソドックスなつくりの作品だが、それだけに書かれた内容には説得力がある。几帳面な西村さんの性格が表れているといえよう。
まず快適な街とは何かという定義を街のアメニティ、都市緑化の意義、快適性から述べている。次に現在の岡山市の地理、風土、緑地の分布状況を述べ、「おかやま都市のマスタープラン」に描かれている内容を説明している。
第4章では「緑地の効果」と題して、「緑地が気温に及ぼす効果」、「不快指数(気温と湿度を用いた計算式によって算出される)」、「地面の表面温度」について詳細な調査方法と結果のグラフやデータ提示、検証をして、述べられている。
この調査から緑地は市街地の大気環境に少なからず、よい影響を及ぼしていると確認している。最後に、快適な街に向けて都市緑化の観点から改善策を具体的に述べている。そして、市街地の緑化推進するためには、自治体や市民の相互協力により、街づくりを計画し、都市緑化を促す努力がこれからますます必要となるだろう…と結論づけている。