2005年4月号

サンタの国と経理の仕事

フィンランドおたく、紳士、小説「菜香野ちゃんシリーズ」の原作者、ハートの封筒…。彼を知る先生方の口から出てくる脈略のないキーワード。イメージを掴むはずの下調べなのに、輪郭がどんどんぼやけていく。
(文 渡壁裕子)

 

「あ・な・た愛してるわ 」語尾には必ずハートマークと、次から次へと出てくるラブラブフレーズ。甘ったるいのなんのって、なんといったらいいのか、とにかく文芸と言うにはあまりにもファンシーな世界が描かれているのは、文芸部大ヒット作品「菜香野ちゃんシリーズ」。
旦那を愛してやまない愛のスーパーガールのような奥さま、田村菜香野を中心に夫と子供の3人家族の田村家をコメディで描く、ハチャメチャぶりが面白くほっと温まる作品。
今を去ること11年前、文芸部が発行していた季刊誌「万華鏡」に小説「菜香野ちゃん」が登場。その強烈なインパクトに誰もが唖然とし、そして惹きつけられた。シリーズ化された「菜香野ちゃん」は文芸部異例の連載を続け、部員達で企画する有志本として「菜香野ちゃんシリーズ」のオンリー本を「プリティ」「スウィート」「ラブリー」、と計3冊発行する。それには部員ばかりか顧問の先生までも参加して書き上げた。こんな文芸部に空前のブームを巻き起こした仕掛け人とは、どんな人物なのだろう…?

 

営業マンになる

「菜香野ちゃんシリーズ」の生みの親である桑田正和さんは、現在、ハート株式会社の大阪中央支店で経理の仕事をしている。
大学時代、文芸誌を発行し印刷物に慣れ親しんだ彼は、「紙に関る仕事がしたくて」と、文具・紙製品の業界を中心に就職活動をしていた。その矢先、阪神淡路大震災が起こる。阪神間の企業は求人どころではなくなり、就職率も最低を更新していた。そんな時に就職課で見つけたハートの会社情報。とにかく「紙」に関わることができればと、懸命の就職活動の甲斐あってめでたく入社することになった。
ハートの直接の販売先である印刷会社や文具店は、ハートから仕入れた無地の封筒や名刺にマークや文字を印刷して、エンドユーザーである企業や個人に販売する。
入社後、待っていた仕事はそんな印刷会社や文具店をまわる営業だった。車に封筒や名刺を載せて、年末には1日に30件は走り回ったという。
「印刷屋さんといってもいろいろ。例えば、この印刷屋さんはチラシ専門だから売り込んでも仕方ない。ここは名刺を専門に印刷しているけど、よそのメーカーが入り込んでいるとか…。そういったことを観察しながら、売り込んでいくんです。

 

「どうやったら売れるか」それを自分自身の頭で考え、何回も試行錯誤を繰り返す。二年経った頃、自分の営業スタイルもなんとか形になり、売り上げが伸び、仕事が面白くなってきた。しかし、業務部へ異動となる。一年後には工場へ、そこも三ヶ月という短い期間でまたもや異動。次に本社の経理部に。そこで一年九ヶ月勤務した後、現在に至る。
「僕ほど、仕事場が変わる人ってめずらしい(笑)。でも、それが僕の強み。最初の頃は、経理という仕事は果たして自分に向いているのか?って思いました。でも今では自分の天職かも。」
彼が今所属している営業経理部は、中央支店の営業マンが取ってきた仕事の売り上げを管理する。いろんな部署を回ってきたことで、注文を受けてから製造し、納品するまでという仕事の流れ全体を把握していることは、この仕事をする上で意味があるという。桑田さんにとって仕事とは、「自分の可能性を引き出してくれる機会」。今まで様々な部署で働いて、懸命に取り組んだ中から得た知識やスキルが、今の仕事に生かされているのだ。

 

面白がることに命を掛けた学生時代

まさにビジネスマンの鑑のような桑田さんに、なぜ神戸学院大学の人文学部を選んだのか理由を聞いてみると、「色んな分野を手当たり次第学べる。そこに強く惹かれたんです。それで入学してみたら、まさに自分の思い描いていた通りで、ハマった。」という答えが返ってきた。
昔から本を読むことが大好き。大学の授業で配られた資料までも読み漁り、文学と名のつくものは片っ端から手にとった。自宅が大阪で往復2時間かかる通学中にも文庫本は手放さず、一日に一冊読み終えてしまったことも何度もあったという。
卒論のテーマは『ヘルマン・ヘッセ作品に投影される女性像』。ドイツ文学には抽象的な言葉が数多く秘められている。その作品に隠された言葉の意味や関連性を追い求め、ヘッセが真に求めた女性像というのを彼なりの考察と視点で導き出す。
そして、その尽きることのない好奇心は”書く”ことにも注がれた。
彼が当時、所属していたサークル「童話・文芸愛好会」。年間に11冊もの文芸誌を発行するという活発なサークルで、彼が2年生になった時には「文芸部」に昇格。初代部長を務める。そこであの「菜香野ちゃんシリーズ」がフィーバーしたわけだ。
アイデアマンである彼は、小説を書くのに飽きたらず、いろんな荒唐無稽なイベントを企画した。
「お子様ランチ計画っていうのがあって、部員一人一人が例えば塾の講師だったり、セールスマンだったり、ちょっと怖いひとだったり…。それぞれが別々にファミレスに入って、そこを舞台に各自別々の席でその役を演じきる。そして最後には全員『お子さまランチ』を注文するっていうルール(笑)。」

 

「牧場の少女カトリ」に魅せられて

大学時代の八面六臂の活躍ぶり、そして卒業後は切れ者会社員である桑田さんには、また別の顔がある。それは、フィンランドおたく。
彼がフィンランドの虜になってしまったのは小学生のとき見たテレビアニメ「牧場の少女カトリ」。そこにはフィンランドの農村の生活がいきいきと描かれ、森や湖や山に囲まれた世界が広がっていた。高校1年生になった時、再放送され偶然にそれを見て幼かった頃の思いが蘇りフィンランドに行くことを決意する。
高校2年生からバイトで資金を貯め続ける傍ら、フィンランドに関する情報を観光ブック、文献などで読みあさった。軍資金が150万程たまった大学3年生の時、東京にあるフィンランドの旅行代理店が企画していた「ファームツアー」の広告を見つける。それはフィンランドの農家に11日間滞在し、農家の生活を楽しむというもの。「これだ!」と思った彼はその年の秋、ついに憧れの地フィンランドへ飛び立った。
辿り着いた先は、クオピオという街から車で1時間ほどの湖畔にある田舎。幼い頃、アニメで見た世界が目の前に広がっていた。しかし、うっとりできたのは一瞬。フィンランド語が喋れない彼と、英語が通じないホームステイ先の住人であるおばあさんとおじいさん。そこにあった英語・フィンランド語の小さな辞書とボディーランゲージで、なんとかコミュニケーションをはかる。はじめてのフィンランドでの日々を「黄金の11日間」と語る桑田さんは、今もホームステイさせてもらった家族の人達と交流がある。
それ以降、フィンランドの人々の暖かさや雄大な自然に魅せられ、それ以来二年に一度はフィンランドへ、今まで7回も訪れた。
「フィンランドへ行くことが、僕が仕事をする上での最大の目標ですね(笑)。」と彼は言う。

 

スパイスが効いた生き方

現在の桑田さんはバリバリの仕事人だから当然仕事は忙しく、帰宅時間もだいたい夜の8時ごろ。なのに、去年は「年間100本以上の映画を見る」と決めて、114本もの映画を見たり、職場の写真部に所属したり、今年からはスイミングにも通い出したりと、飽くなき好奇心と行動力は学生時代のままだ。
「自分を仕事だけの世界で閉じ込めてしまうなんて考えられない。『面白い!』そう感じたら、とにかく何でもやってみたいし、知ってみたい。」
桑田さんにとって仕事以外の自分の楽しみとは、「人生におけるスパイスのようなもの」だと語る。
人は食べるために働く。しかし、それだけでは喜びも楽しみもない。仕事以外で充実した時間が人生にメリハリをつけるスパイスとなり、新たな気分で仕事をすることが、充実した人生をおくることに繋がる。仕事という軸足だけなら脆い。しかし、桑田さんの軸足は何本もある。だから、厳しいこんな時代でもサラリと生きていけるのかもしれない。
「目標はなんでもいいから、成果が出なくてもいいから、とにかく一日一日を大切に一生懸命に過ごしたいね。」窶披€剥ナ後の質問を投げかけると、模範的な答えが返ってきた。
しかし、桑田さん。桑田さんが締めていたトッポジージョのプリント柄のネクタイ。いくらマジメな顔をしてても、いつもこころのどこかに遊びをということ、なんですよね。

 

卒論ダイジェスト

ヘルマン・ヘッセ作品に投影される女性像

ヘルマン・ヘッセの作品『ナルチスとゴルトムント』を中心に、ゴルトムントが描いた”真の女性像”を追求していく。
ゴルトムントは父によって、幼い頃に母の記憶を意図的に操作され、《母の世界》を喪失していた。そして、父の抑圧が後のゴルトムントの女性遍歴において母の姿を追い求め、ゴルトムントの女性観を育てるようになっていく。
第一章ではゴルトムントが女性に求めた《母の世界》とは、どのようなものだったのかを、彼の女性遍歴以前を振り返ることによって述べていく。
第二章ではゴルトムントが女性遍歴の過程において、彼が芸術家への道を歩み続ける転機であったといえる”リディアとユーリエ”の姉妹を芸術作品を通して考察していく。
第三章ではゴルトムントが到達した女性として、彼が死の間際に思い描きながらも形作ることが出来なかった、人類の母イヴに死の世界へと導かれたと論じられている。
そして、ヘッセの作品『デミアン』からも類似するモチーフが形成されていた点から、ヘッセの母に対する考え方の原型を、この作品から見ることが可能だとまとめあげられている。