2015年10月号

自然から学んだ自分なりの生き方

仕事も人生も、自然とかかわることで見えてきた。
(文:西村 成也)

 

JR芦屋駅南口。梅雨入り前の蒸し暑さが漂う6月上旬、額に汗を滲ませて待っていると、約束時間より少し前に島田さんが現れた。がっしりとした体格は、まさに“山の人”。「事務所では狭いので、どこかの喫茶店で」──島田さんの言葉に導かれるまま、たわいない世間話から取材がはじまった。

 

山登りの専門家として

「危険と隣り合わせの山で安全にお客様に夢をかなえてもらう、そのお手伝いをするのが山岳ガイドです」
島田さんは現在42歳。28歳でプロの山岳ガイドとして独立、事務所を立ち上げ今に至る。事務所のある芦屋は近代登山発祥の地六甲山の入山口があるところ。六甲山に登る機会が多いことから芦屋に事務所を置いたそうだ。
山岳ガイドステージⅡ※というライセンスをもつ島田さんは「島田ガイド塾」を主催している。そこでは初心者から中級者までを対象とした、クライミング、地図の見方、ロープワーク、セルフレスキュー、テント登山などさまざまなメニューがあり、それと連動した実技講座も開講されている。近場では六甲山や加古川の高御位山、1泊2日で滋賀の比良山、夏には3泊4日で富山、岐阜、長野に跨がる北アルプス、そして冬には兵庫県の氷ノ山や奈良県の大峰で雪山登山と、登山シーズンがはじまる4月から冬山シーズンが終わる年明けまで毎週のように山に入る。
このような山岳ガイドとしての仕事の一方、登山家としての経験や知識を生かし、登山用具販売専門店である好日山荘のアドバイザー、日本国立登山研修所や日本山岳レスキュー協会で山岳遭難救助の講師、同志社大学での山岳部コーチもしている。

 

自然との出会い

「下町のあのごみごみした雰囲気が子ども心に息苦しかった。自然のなかで生きるために自分で考えて行動する、その楽しさを教えてくれたのが山」
大阪市淀川区淡路。阪急京都本線と千里線が交差し、遊興施設、商店街、市場がひしめく賑やかな下町だ。ここで育った島田さん。都市は便利で楽しく安全であるが、それと引き換えに「生きる」ことの手応えが乏しい。あれこれ干渉される周囲の環境に振り回されていたこともあって、子どもながらにうつうつとしていた。そんな島田さんに転機をもたらしたのが、カブスカウトへの入団だった。カブスカウトとは、8歳から11歳ぐらいの児童が、「国際交流や自然環境のなかでの活動を通して、子どもの自発的成長とよりよい社会人となることをめざす」活動だ。「都会育ちにしてみれば、自然のなかにいるとすべてが新鮮。自分の心と体があっという間に引き込まれたのを覚えています。飯ごう炊飯をしたりキャンプをしたり、あれこれ指図されるのではなく自分たちで考え判断して自分たちの意思で行動する。これはおもしろいぞと」
小学校ではカブスカウト、中学まではボーイスカウトに参加してアウトドアを楽しんだ。
高校ではテニスやバンド活動も取り組んでいたがやっぱりアウトドアが性に合っていた。
「カブスカウト時代の友人と、地図も持たずにテントで六甲山山頂をめざしたり、コンロもなく焚火でキャンプ生活をしてみたり、純粋に自然を楽しんでいました」

 

山を巡る日々

島田ガイド塾でのロープワーク講習会。

島田ガイド塾でのロープワーク講習会。 「上高地から穂高を見あげたとき、『こんな美しい場所が日本にあったのか』と強く感動しました」
団塊のジュニア世代で受験競争もそれなりに厳しく1浪して人文学部に入学した。大学では、大好きな自然にかかわる環境について学んだ。しかし環境問題は、地球温暖化や資源の枯渇、南北格差や政治や経済など、さまざまな要因が複雑に絡み合い、知れば知るほどわからなくなっていった。
本格的に山登りをはじめたのは大学生になってからだ。最初は穂高岳に登り、さらに大きな自然と触れ合いたいと考えた。そして、3年の夏、集大成として憧れの北アルプスをひとりで20日かけて縦走した。
大学時代は毎年夏休みの約1カ月間、上高地の山小屋でアルバイトをした。
「山小屋の水道の水源はどこか、ガスはどのように供給されているのか、家はどんな構造なのかなど、山での暮らしと自然のかかわりについて自分の目でひとつひとつ確認していく。それを通して環境問題に対する自分なりのスタンスが見えたような気がします」  カブスカウトではじめて野外活動したとき、自然とかかわり合うことで得た「生きる」ことへの確かな手応え。以来、わからないことは現場に立って自分の目や耳や手触で確かめる、それが島田さんの習性になっているのだ。
4年生になって教育実習に行く前日、飲酒運転の車にはねられ、1カ月の入院を余儀なくされる。
大学では親にすすめられるがまま、英語の教職課程を履修していたが、先生との意見の衝突からケンカになった。そんなことがあり、納得もしていないのにルールだからと自分をそれに合わせることに窮屈さを感じていた。事故にあったのはそのころだった。
「自分がなにをしたいのかもわかっていないのに、結果が出るわけがない。まず自分を固めよう」
教職の道をきっぱりあきらめ、アルバイト先であった上高地の山小屋に長期雇用というかたちで就職した。どんな仕事もまずは自分ですることからはじめた。仕事の合間に裸になって川に入り「自分はこの身ひとつでなにができるのだろうか」と自問自答を繰り返したこともあるという。
「寒いから続かないんですよ、思考が止まって。なにもない人っこひとりいない山のなかでひとりでいることが怖くて仕方なかった」
島田さんは、3年で山小屋を辞め一般企業へ就職する道へと歩みだす。

 

山を下って見えた世界

国立登山研修所にて山岳遭難救助の研修指導。

国立登山研修所にて山岳遭難救助の研修指導。 「ひとり暮らしのアパートに戻ってみると、次にどうしようかなにも思いつかない。自分で仕事を作ることも、なにかを発信することも」
山小屋を辞めたあと、松本市内のアパートにこもり、小説や哲学などいろんな本を乱読した。そうするうちに、自分ができることとして、山や自然と人を繋ぐ仕事という方向が見えてきた。そこからさらに1カ月間、毎日ノートに自己分析をして書き連ね自分自身と語り合った。
「半分引きこもりみたいな状態」をくぐり抜け、すべきことが見えてきた島田さんは、新聞社、山小屋、登山メーカー、旅行会社など15ほどの会社に手書きの履歴書を送ってみた。ユニークな経歴やその一途さに興味を示した会社から声がかかり面接に行った。だが現実は甘くない。どれもうまくいかなかった、このとき、25歳。
切羽つまった島田さんは「山登りの師匠」と慕う山本一夫さんに電話で相談した。すると、登山用品の卸売り会社を紹介してくれた。山本さんは、世界中の山々を踏破し、登山用品専門店『岩と雪』も経営する山登りの第一人者だ。
翌日、着慣れない背広を身にまとい面接に臨んだ。就活マニュアル本を読み万全を期したが結果は惨敗。なんとか食い下がってもう一度会ってもらえることになった。
「開き直って素の自分でアピールしようと思って登山服を着ていきました。面談は山の話からはじめました。ゆくゆくは独立したいという意思も正直に伝えました」
起死回生のアピールが功を奏した。入社して懸命に働いた島田さん。倉庫での仕分け、バーコード貼り、経理の仕事といった裏側の仕事をこなし、ついにはショップを任される。仕事は忙しく充実していたが、山への思いは薄れることはなかった。
ショップにはプロの登山家や山登り愛好家などいろんな人が訪れる。山が好きであることは共通していても、かかわり方は人それぞれ。山を共通項にいろんな人と出会った。
「彼らの山にかける思いやパワーに何度も圧倒され、自分はまだまだだと思い知らされた」
3年の月日が流れた。ショップが閉店されることをきっかけに島田さんはプロの山岳ガイドとして生きる道を選び、半年ほどの準備期間を経て、事務所を設立する。
仕事はじめは前職で馴染みになった山登り初心者3人の登山ガイド。岩山や雪山に登りたいというお客さんからのスタートだった。事務所を開設したその月の売り上げは6万円。
「仕事を通じて山関係のいろんな人の繋がりがありましたし、山登りを題材にした教育についても手応えを感じていたから、さほど不安はありませんでした」
山岳ガイドとしての仕事ぶりを誰かが見ている。それがいろいろな人に伝わり新しい仕事が入る。またその仕事を見て…と実績が実績を呼んでいく。

 

つながり、これからも

最後に今後の展望について聞いてみた。
「現代人はアウェーに弱い。守られた環境でしか力を発揮できない。そこに登山やアウトドアを用いた教育の可能性がある」
これからは会社研修や学校教育での登山プログラムを開発し売り込んでいくそうだ。
「仕事は山登りと同じ。自分の知識や経験をもとに自分が置かれている環境を冷静に観察し、安全かどうか一歩一歩確かめながら進む。そうやって今まで来たから、この流儀で取り組めば危ないことはない」

私たち現代人はいろんなシステムの恩恵を受け快適に暮らしている。それがあって当たり前のように思っている。しかし、それらがいったいどういうメカニズムで動いているのか。そんなことはほとんど誰も意識しない。島田さんは、そういう現代社会に内在化されている“ブラックボックス”を頼って生きざるを得ない現代人の危うさに、子どものころに気づいてしまったのではないか。だからこそ、生きるということをひとつひとつ確認するために、山登りを通じてブラックボックスと引き換えに厳しい自然環境に身を置いてきた。そのプロセスで得たものが宝となって、自然と人を繋ぐ仕事ができるのではないのだろうか。
アルピニストに山に登る理由を聞くと「そこに山があるからだ」という答えが返ってくるらしいが、島田さんにとっては、そんな単純なものではない。人があってこその自然、自然があってこその人なのだ。

 

閑静な住宅街の一角にあるいかにも昭和なアパート、その1階に島田ガイド事務所がある。部屋には、サックやロープなどが所狭しと積まれている。

 

島田さんの登攀歴
■海外: モンブラン三山縦走 マッタ―ホルン キリマンジャロ ヒマラヤ・ダウラギリ峰遠征 等
■国内: 利尻岳西壁継続登攀&初滑降 屋久島三大岩壁登攀 等

※山岳ガイドステージⅡ:日本国内で季節を問わずすべての山岳ガイドおよびインストラクター行為を行うことができる公益社団法人日本山岳ガイド協会が認定している資格。