Vol.14(2008年3月)
住友 則彦

「教養」の今日的意義

授業ではご自身の専門である地震や自然災害からタイムリーな社会問題まで、いろんな切り口でたくさんの学生を学問の世界へ誘ってこられた住友先生に、「教養」について聞いた。
TEXT 北山稔/ILLUSTRATION 横畠亜沙美

 

理学部で芸術を学ぶ

50年くらい前の話になるけど。大学で理系の勉強をしてたんですが、理系の学生からみた教養とは人文科学とか社会科学とかなんです。その頃は、大学に入ってはじめの2年間は教養の授業を受ける。その中でも、特におもしろかったのは芸術学ですね。ある先生が、どこそこの阿弥陀如来はいつ作られてどういうところが見どころであるとか。それから、銀閣寺はこういう背景で作られて建築的にいえばこういうところがいいとか…。まあそんな話がほぼ1年間あったわけですよ。理学部の学生のほとんどがそれを履修した。なぜかというと大学が京都にあったから。僕は地元やったけども広島や岡山や北海道から来ている学生にすれば、京都へ来たらそういうものを見ようと思ってる。それを芸術学の先生が授業でエッセンスを紹介してくれる。高校までに芸術という観点でものを考えたことなかった人にとっては、仏の世界とは何かとか阿弥陀さんはこうだとか観音さんはこうだとかいう話は、ものすごい新鮮だったわけね。
僕はずっと今でも邪馬台国に興味を持ってるわけやけども、この原点も教養の授業からやね。邪馬台国は何かとか、どこにあったかとか、魏志倭人伝にこう書いてあるとか…。それをその教授は延々と1年間しゃべった。邪馬台国の場所の説には京大学派と東大学派があって、東大学派は九州説、京大学派は近畿説を唱えてるわけ。その先生は京大やから近畿説を唱えてるわけね。いろいろ理屈をつけて近畿へもってこようとしてる。そんなこと当時の僕は知らんかったけども。大学を卒業して社会人になってから邪馬台国ブームというのが出てきてね。邪馬台国関連の本が続々と出だしたんやね。はじめ本屋でパラパラと見て、それから病みつきになって…。それからは邪馬台国という字が入ってたらみな買う。大学の授業で聞いた話が頭に残ってて、おもしろいと思うようになったんだと思う。

 

友達との交流が、世界を広げる

大学といえば、授業もそうだけどやっぱり友達やね。大阪出身だから大学入るまでは大阪の人間しか知らなかったわけだけども、富山とか広島とか九州の友達ができてね。一緒に夏休みにそいつの故郷へついて行ったりしましたよ。その友達とは今でも付き合ってます。大学1?2年生の教養課程のときにできた友達というのは、小中高時代の同じ地域の友人関係じゃない。違う地域の人と接するということになる。これは自分の成長にとって大きい役割をしたと思うね。
君らはもう想像できないかもしれないけど、当時、多くの学生たちはアメリカと日本とのつき合い方を問題視していた。京都の学生はアメリカ嫌いでどちらかというとソビエトびいき、つまり共産主義ですね。そういうのに憧れている学生が多かった。アメリカ資本主義あるいは帝国主義というものに対して反発してたわけ。ところが当時の国の姿勢としては、とにかくアメリカにくっついていかなければ、ソビエトに侵略されるんじゃないか、ということでアメリカ一辺倒だった。それに反対した学生が街でデモをしたり、授業をボイコットして、クラス討論とかで「総理のあの発言はおかしい」とかなんとか言いながら政治的な議論をしたりした。いわゆる学生運動ですね。
当時、受験生だった私たちにしてみれば、もう受験勉強で一生懸命で、世の中で何が起こってるかとか、朝鮮戦争があったとか、ベトナム戦争が始まるとか、そんなことも深く考えないままで大学に来たわけ。そしたら周りにそういうことについてよく知ってるやつがいて、「お前ら勉強ばっかりしてたらあかん、日本の国はダメになる」とか言って。
政治的なものの考え方とか見方というのは彼らに影響を受けましたね。本人次第ではあるけれども、自分とは違った価値観を持った人たちとの交流の中から、いろんなものの種々雑多な見方だとか知識とか経験とか、そんなものができる。そういう中から人間形成ができていくんじゃないかと思うね。

 

ムダな時間に「何か」をする

これは講義で言うんだけども、君らはお金で時間を買ってると。途上国だったらその年頃やったら働かなあかんのに、働かなくてもいい。学費払って4年間という時間を買ってると。だからそれを無駄に過ごしたらいかん、ということを言うんだけども、それは自分の体験を振り返ってもそう思うから。
僕の時代は進学するのは15%ぐらい。他の人は中卒とか高卒で労働の現場へ行くとか、ブルーカラーというんかな。大学行きたくても行けない人ばっかり。自分たちは彼らができなかったことをやっているんだっていう使命感みたいなものがありましたね。数学とか物理とか、自分の専門はやって当たり前という感じ。
大学4年間で自分が成長した、何か得られたって思うのは教養を学んだ2年間やね。なんでも自由にさせてくれた。本読みたけりゃ読んだらいい。映画観たかったら観たらいい。友達と議論したかったらしたらいい。ただ授業に出るだけが大学生活ではないと思う。
今の学生は授業とバイトやん。なんにも余裕がないって感じで。旅行するだとか友達と議論するだとか、本を読むなり、もうちょっと自分を鍛えるようなことをやってほしいなと思う。たぶん何をやっていいのかわからんのやと思うね。僕らのときは何をやったらいいのかわからんけども毎日毎日いろんなことをやって、それが自分にとって大事なことだと思ってた。

 

役立つより豊かになる学問

これからの日本がどうなるのかを考えると、まさか現代の中国のような経済成長というのは起こるわけがない。そんなことやったら環境を破壊するだけ。どうして生きていくかという自分の生き方や楽しみや喜びを探さないかん時代ですよ。
そこで大事になってくるのが、教養なのではないかな、と。それがあったらはじめて生きる知恵とか生きがいとかそういうものが出てくるはずなんですよ。理系の場合ね、数学や物理のような専門教育をやったとしても、そんなものが期待されるような世の中ではもうないわけやな、きっと。当面この21世紀はエネルギーとか環境の問題とか、とにかく20世紀にやりすぎたことを抑えなくちゃいかんわけ。
どういう生き方をしていくのかを考えるための学問。つまり明日役に立つようなことを教える時代ではなくて、すぐに役には立たないけど自分自身を豊かにするようなことをどう教えるかという時代だと思う。
人がどうしてるを気にせずに、自分が満足すればいいんだと、人をうらやましがらないということね。わが道を行くこと。難しいけどね。けど自分にとって何がいちばんの喜びかという、そのものさしをちゃんと作ってそれを動かさないこと。そういう価値観を確立してほしい。

 

「ああいいな」って思う気持ち

いい服着て、いいもの食べて、いい自動車に乗って…。そういうのを幸せと思う人もいる。それは否定しない。だけど野山を歩いて鳥の鳴き声に時には耳を澄ませたり、谷川を流れている水の冷たさを感じたり…。要するに自分の周りの自然に体で触れて、いいなと思う気持ち。それを持つ人と持ってない人ではもう全然違う。僕は絵を描くことが好きなんだけども、外へ行って山へ行ってお寺とか行って絵を描いているときは、もう何にもいらない。そのときが僕にとったら至福の喜び…。できれば人間が生きていくうえで物質的な喜びだけではなくて、音楽とか芸術とか山歩きとか写真とか、なんでもいいけどそういうものに「ああいいな」って思う、そういう気持ちを持てたら、人生にとって幸せなことだと思う。そういう感覚は今日や明日にできるもんじゃなくて、小さいときから家庭の中の雰囲気とか友達関係とか先生とかそういう人から受けた影響で、だんだんその人の中に育っていくんだと思う。

 

 

住友 則彦教授

人文学部人文学科 住友 則彦教授
京都大学 修士課程(理学研究科、地球物理学)
京都大学理学博士

京都大学教養部助手、助教授を経て教授に就任。京都大学防災研究所地震予知研究センター教授。2000年より神戸学院大学人文学部教授。