2005年7月号

おかあさんになる

近い将来やってくる就職活動、夢と現実のギャップをどう埋めて生きていけばいいのか?思案に暮れている時、「元気にお母さんしてる先輩がいる」と聞いた。仕事よりなによりも、まず女性として私たちはどう生きていけばいいのか?ヒントをもらいに広島へ向かった。
(文 中村桂江)

 

新幹線で広島駅に着く。にぎやかな市内を走る路面電車に揺られること約30分。車が行き交う道路の真ん中の停留所で降り、地図を頼りにテクテク歩く。街の外れ、自動車の修理屋さんや住宅が立ち並ぶ中にかわいい小さなお店が見えてきた。彼女が作った手作りの子ども服が展示販売されているお店、「Dream Heart」だ。
中を覗いてみると、2人のお友達と片腕にお子さんを抱きかかえながらディスプレイの打ち合わせをしている能宗さんが見えた。女性は子どもを産むと強くなるというが、わたしも彼女のように子どもをだっこしながら用事をすることなんかできるのだろうか。
とりあえず挨拶をし、打ち合わせが終わるまで店内を見させてもらう。このお店は、彼女のお友達である北本さんのご主人がリサイクル関係のお仕事をされているのがきっかけではじめられた子ども服のリサイクルショップ。赤ちゃんから4~5歳くらいまで、さまざまな子ども服が売られている。窓際の一角に能宗さんたちの手作り子ども服が置かれている。ブラウスやスカートに混じってベストやハンカチなど、いろんなものが並べられている。よく見ると、アイスクリーム用の木製のスプーンに「Kuken」という名前がはいったタグが付けられている。時折訪れるお客さんとのやりとりを見ていると、子ども服を売るお店というよりも、子ども服を媒介としたおなじ年頃の子を持つお母さんたちのコミュニティーのような雰囲気だ。

 

手作りの子ども服から広がる輪

打ち合わせが終った後、さっそくお話をお聞きした。「Kuken」は同じく子育て中の友人、岡本さんと立ち上げたブランド。「ブランドといっても、ビジネスではなく趣味の延長。布に触っているのが好きなので、作品をつくるのが楽しいんです。自分の作った服を子どもたちが着てくれたらうれしいし、フリーマーケットとかですごく気に入ってもらって、商品を買ってもらえたり、そういう人がお店に来てくれて、リピーターになってもらえたりしたら、すごくうれしい。」
実は、利益はほとんどない。それでも、作品をつくり続けるのは、彼女が求めているのが収入ではないからだ。主婦だからと言って、家事だけをするのではなく、自分のできる事はやってみたい、試してみたい。するのではなく、自分のできる事はやってみたい、試してみたい。そして、子育て中の主婦でも参加できる自分たちのコミュニティーを作りたい。

 

結婚を機に優良企業を退社

フリーマーケットで手作りのカバンや雑貨を売る、能宗さんとお友達の岡本さん。

大学を卒業してから結婚するまでの一年間、彼女は広島県にある優良企業の広島銀行に勤めていた。入社は狭き門で、受験者約1、300人中、入社したのは60人。女性は15人ほどだったという。銀行や経済について詳しい知識を持っているわけではなかったが、やったらとことんやってしまうという性格で、銀行や経済について猛勉強し、入社試験を突破した。
学生時代、所属していたゼミの森下嘉公教授は言う。「ゼミというのは学生たちと教員との化学反応のようなものです。彼女がゼミ生だった時は充実していましたね。なんでもてきぱきする学生でしたから、私はてっきりバリバリのキャリアウーマンになるものだと思ってました。」
学生時代よりも働いている時の方が楽しかったという能宗さんだが、結婚を機に仕事を辞める。「結婚して、子どもをもちたいと思った時に、働いている時は誰かにあずけるとなると、子どもがかわいそうかなって。だから、結婚するなら、仕事は辞めようって決めていたんです。」子どもを誰かにあずけることは自分の子育てについての考えからはずれる、旦那さんが転勤族だからパート以外の定職にはつけない、働くなら自分の力が認められて出世もできる状況で働きたい。いろいろなことを考えた上で、能宗さんは仕事を辞めることを選んだ。
大学在学中は、下宿にミシンを持ってきていたぐらいに裁縫は好きだった。「妊娠中、手芸屋さんですごくかわいい生地を見つけて”あぁ、これで子どもに何か縫ってあげたら…”と思って。」なんでも、妊娠中は子どもに何かを作ってあげたくなる人が多いとのだとか。
そして、お子さんが産まれ、保健センターで行われていた子ども達を遊ばせるオープンスペースに参加。そこで、同じように子ども服を作っている人と友達になり、創作意欲を刺激された。それからは、我が子の服以外にも、作品をどんどん作るようになり、ネットワークが広がっていった。

 

日々充実して生きることがいちばんの教育

華ちゃんは2歳4ヶ月。何にでも興味を覚え、可愛い盛りだ。見知らぬ訪問者と話し込み、いつもと違うお母さんの様子に不安を感じたのか、お母さんから離れない。叱ることもなく、あやすでもなくお子さんに自然体で接する能宗さん。
「この子はわたしの人生のもう1人の主役」だと言う。
「人間対人間だから、難しいっていうのはありますね。私という人間とこの子っていう人間の組み合わせは一組しかないんですよね。誰の意見も参考にしかならない。」
人間、大人になっても、生活習慣や価値観など、親に教えられたことやその影響は消えないもの。そのいちばんベーシックな部分を一からつくっていくのは親なのだ。そこには親の生き方や価値観が問われる。
「私も手探りの状態なんだけど、自分に自信がもてるようになりたいから、毎日充実するようにしたいなと思っています。やっぱり、親が生きがいをもって、生き生きしている姿をこの子が見て育ってくれたらいいなとも思いますしね。」
もちろんそれは、子育てのためだけではなく、自分のためでもあり、それは子育てにもいい影響を与える。子育てしか見えなくなってしまうと、視界が狭まり、余裕がなくなってしまうのだ。能宗さんは子育てについて「子どもは今どんな状態、自分は今どんな状態っていう二つの目で見ないとうまくいかないんじゃないかな。」と言う。子どもと自分の状態を見た上で、どうしたら子どもにも自分にも良いかを考えながら、行動をする。これが大事なのだそうだ。

 

社会参加は自分たちで

今は主婦をしていても、元々いろんな能力を持っている人は多い。そういう人同士で集まって、コミュニティーみたいなものを作り、「いろんなことをやりたい人が活動しやすい場」を提供できたらと能宗さんは言う。
6月末には「ミツカル」というイベントを開催した。これは、美容師、エステティシャン、アロマテラピスト、グラスアーティスト、フラワーアレンジャー、そして彼女のように手作りで作品を作っている人など、主婦でありながら特技を生かして活動している人たちが集まり、何かきっかけをつかみたい人、仲間を作りたい人など、お客さんを集めて輪を広げてゆくというもの。イベント名には、参加した人にとって、何かが”見つかる”イベントであるようにとの思いがこめられている。能宗さんは、こういったイベントに参加することによって、人脈や仕事の幅ができれば、主婦だからと市井に埋もれている人たちが社会参加するキッカケを提供できれば、と思っているということだった。「会社に属して働くことだけが社会参加でもなければ、お金を稼ぐことだけが自立した女性の生き方でもない。」というのが能宗さんの考えだ。

 

自分で人生を満足のいくものに変える

インタビューの最後に、家事をして、子育てをして、服を作って、お忙しくないですか?と聞いてみた。すると、「忙しいんですけど、私は忙しい方が好きなんです。自分がどうしたらいい状態でいられるかっていうのは、私の場合、動いていることなんです。」窶披€狽ネんともエネルギッシュな人だ。そして、自分のことをよくわかっている人。能宗さんは自分の人生を満足のいくものにするために、今何をすべきなのかということも将来のこともよく考えていて、その上で今出来ることを一生懸命がんばっている。
「世の中にはたくさんの生き方をしている人がいて、どんな状況でも自分の人生を満足のいくものに変えていくことは出来る。」後日、届いた能宗さんからのメールには、そう記してあった。
人生、いつ何が起きるかわからない。私もいつ結婚して出産することになるのか、それとも、そうならないのか、神のみぞ知るだ。しかしどんな人生が待ち受けていようと、私も自分の人生を満足のいくものにしていきたい。それには、”今”を嘆くのではなく、”今”を一生懸命がんばること。常に行動している能宗さんの姿に、私は人生において一番大切なことを教えてもらった。

 

卒論ダイジェスト

魔女狩り~ヨーロッパ的女性観

中世以前の魔女は反社会的行為を行わない限り民衆に受け入れられ、迫害されることはなかった。しかし、キリスト教が拡大政策を行っている中で、魔女を迫害するようになった。魔女はその存在自体が罪とされ、魔女狩りが正当化されるようになり、15〜17世紀には魔女狩りが猛威を奮うこととなった。
多くの女性が魔女として処刑される一方、聖女として崇められた女性も数多く出現している。このことは、旧約聖書の時代から存在した女性忌避の思想がもとになっていると述べられている。
第三章ではヨーロッパ文化の特徴から、なぜ魔女狩りが行われたのかを考察している。それは物事を二元論的に捉えた断絶の思想のもと、人間と自然をわけ、魔女を自然の代弁者として、秩序を乱すものとして敵視するようになったと述べられている。
第四章では現代社会の中にも通じる魔女狩りの思想について述べており、大変興味をそそられる内容である。男女の関係において大きな変革期にいる我々には、明るい未来を構築するために正しい文化の理解と現実の認識をもって、建設的な意識を持つことが求められていると締めくくっている。