Vol.17(2009年12月)
矢嶋 巌
「水道」の奥に、暮らしが見える
6月、夕暮れ。3号館6階の一角は笑い声に包まれた。「僕は急にフッとまじめなことを話される人の方が、おもしろいな、と思いますね」。矢嶋先生特有のウィットに富んだ話の中には、地理学への情熱と人々の暮らしへの温かい眼差しがあった。
TEXT寺田佐保
子どものころはよく父や親戚のおじさんと登山に行きました。だから、子どものころから地図を見ることには慣れていましたね。高校で山岳部に入りいろいろな地域へ旅行に行くようになると、土地ごとに特色や地域性があることがわかり、その違いに興味を持つようになって、自分で調べるようになりました。この作業が好きだったからか、高校生時代の得意科目も「地理」になっていました。そして大学進学でも迷わず「地理学」を選んでいました。
地理学というのは分野にとても幅のある学問だといえます。具体的には、自然地理学と人文地理学に大別されて、そこからさらに細かく分かれます。自然地理学は気候・地形・水文などに分かれ、人文地理学は民族・産業・人口などに分かれます。ある国について説明するとなったとき、地理学ではこう説明します。まずその国がある地域の自然環境についての説明、その土地に生きるいろいろな民族についての説明、その国に住む人々の起こした産業や生活形態についての説明、さらには人々が重ねてきた歴史まで複合的に観察してやっとその国の説明が成り立つ。地理学は多岐にわたる情報を総合してある地域について説明する学問といえます。得意分野をつくり、フィールドとなる国や地域を決めていきます。それで私はというと、人文地理学系統なのに水文分野ということになるでしょうか。「水道―生活排水」の視点から地域を研究しています。
水道との出会い
私は北海道出身ですが、北海道の人って東京に進学する人が多いんですね。でも天の邪鬼な私は人と同じことをするのが嫌で関西の大学に進学しました。
大学では1年生の時点でゼミがあって、研究テーマを決めなければなりませんでした。それで、何かないかと探しました。関西に下宿してみると、ひとつ気になるものがありました。「水道水」です。当時、大阪の水道水ってとてもまずかったんです。北海道から出てきた私には衝撃的でした。下宿の水道水も、蛇口をひねるたびにカビ臭いにおいが漂っていました。それでも自炊しようと思って水道水でご飯を炊くと、炊き上がったご飯が見事にカビ臭くなりました(笑)。そんなふうに、京阪神で使われる水道水のにおいのひどさが社会問題として連日ニュースに取り上げられるような状況でした。原因は琵琶湖で発生した赤潮プランクトン。このころは高度浄水処理方法がまだ実用化されていませんでしたから、水道水からカビ臭さを除去できていませんでした。今では、改善されて普通に使うことができる水になりましたが。水が汚されることで何百万人という人々の暮らしが脅かされる。それはつまり、人々の暮らしが水道によって支えられている、ということですよね。この事実を目の当たりにしたことで私は「水道」というものに興味がわきました。そして研究テーマを「水道」にしたんです 。
資料から地域を読み解く
こんなふうに言うと、いかにも順風満帆に研究をはじめたように聞こえますけど、実はテーマを変えようとしたことがあります。ひと言でいえば、おもしろく感じられなくなったんです。
3回生で研究テーマが確定してから調べてみたのは兵庫県播磨、加古川周辺地域の水道料金でした。ゼミの指導教授が私の研究テーマを受けて、出してくださった課題でした。既にあるデータからその地域の特性を読み解くという方法を学ぶことが、教授のねらいだったようです。播磨地方の水道料金に関するデータを分析するという、ひたすら数字の羅列との闘いの日々が続きました。地図化して料金を比べてみると、一世帯あたりの水道料金が加古川河口周辺と比べて、上流・水源に近い山間地域では高くなっていました。これは水道施設(浄水・配水場、水道管など)が建設された時期に理由があります。水道料金には浄水費の他に設備維持費、人件費、建設費なども含まれます。水道はどうしても歴史の古い町や人口の多い市から敷設されていくので、平野で町としての発達が早かった河口周辺地域は早い段階で水道が敷設されていました。そのため、このデータが記録されるころにはもう建設費は清算されていて、その負担が必要なくなっていたんです。ところが加古川上流の地域では水道が敷設されるのが遅かった。そのためデータの時点ではまだ建設費を払っている段階でした。また、河口周辺地域と同じ基準で水道施設が建てられているのですが、人口が河口周辺地域よりも少なかった。そのため、1人あたりの建設費の負担額が大きくなっていたことも、料金に違いが出る理由でした。
今の私なら、データからこういった深い事情まで読み解くこともできますが、当時学生の私には、料金の差には気づいても、そこから発展させて考えることがまったくできませんでした。それで、「おもしろくない」と投げ出してしまったというわけです(笑)。
今につながる歴史
卒業論文に取りかからなければならない時期になり、テーマについて悩み続ける余裕がなくなってくると、やはりもう一度「水道」に挑戦しなんとか作り上げなければと思いなおし、腹をくくりました。水道というテーマで具体的にどこをフィールドにしようかと考え、兵庫県川西市で検討していたところ、たまたま水道事業について本を執筆され、川西市の水道諮問委員をされた先生が同じ大学の他学部にいることを知りました。なんとか研究への取っかりが欲しかったので、藁をもつかむ思いでその先生のもとを訪ねました。すると、私の必死さを感じ取ってくださったのか、川西市役所に紹介状を書いてくださいました。それから私は直接川西市役所に通い詰め、川西市の水道事業についての紆余曲折を卒論にまとめました。
川西市には一庫ダムというダムがあります。川西市では1960年代から郊外団地が造成されるようになり、それに伴い人口も増加しました。増え続ける人口を支えるために従来の水道施設をより大規模なものに改める必要があり、そこで水道水源確保と洪水防止のためにダム建設案が浮上します。しかし、強い反対運動が起き、ダム建設は何度も延期されてしまいました。それでもなんとかダムは完成するのですが、完成したときには爆発的な人口増加は既に終息していました。こういった市の水道部の人の苦労話や市の歩みや歴史といったものを卒論として仕上げました。
研究がある程度進んだころはあんなにも「水道」にはおもしろ味がないと思い詰めていたのに、この川西市の話をまとめたことで、認識が変わりました。市役所の人の話を直接聞いたことで、まだ風化していない、今につながる歴史を感じることができました。地理の研究ってこういう楽しさがあるのかと、新しい発見でしたね。
水道の奥に、暮らしがある
私は、「人」を見たいんだな、と最近つくづく感じるようになりました。フィールドワークをしながらいろんな人に話を聞いて、その土地に生きた人たちの暮らしの歴史に思いをはせる。人の営みに水が必要不可欠であるがために、水道が存在していて、その水道を調べることで、来た道を遡るように、人の暮らしが見えてくる。ここに楽しみを見出しているからこそ、研究を続けているのだと思います。
地理学は、何気なく見ている景色を研究する学問だといえるかもしれません。私の場合の「水道」も、普段何気なく使っているものですよね。当たり前のように蛇口をひねって水を使っている。こういったあまりにも近すぎて気づかないところに焦点を当てる。そして、どういう理由でそれが生まれ、今に至るまで存在してきたのかということを、現場に実際に行ってみて自分の目で見たり、その土地に住む人の話を聞いたり、書物やデータで明らかにしていくのが地理学。ひじょうに人間臭い学問なんです。
矢嶋 巌 (やじま いわお)
人文学部人文学科人間環境コース講師
2000年関西大学大学院文学研究科地理学専攻 博士課程後期課程単位修得済退学後、2008年神戸学院大学講師に着任。2009年関西大学博士(文学)学位取得。
現在の研究テーマには「生活用水・排水システムの変容の地域性」「地域環境問題、とくに水環境問題」「東播磨・但馬地方の地域研究」などがある。