Vol.9(2005年11月)
小松 茂久
アメリカの教育から見えてくるもの
専門の科目や実習と、通常の科目に加えていろんな授業を受けなければいけない教職。その辛さから、 脱落しそうになる受講生達を叱咤激励する小松先生。学生達を鼓舞して止まない先生は、自らの研究にも熱い人だった。
TEXT 住田菜美子
とりあえず、がいつの間にか専門に
教育に興味を持ったのは、大学で教職を取ったのがきっかけです。教育について勉強するのが面白くなってきて、せっかく法学部にいるんだから法律と教育がまざりあう教育法とか教育行政とかを勉強して卒論を書こうと思って、文献とか漁っていた時に出会ったのが『明治前期教育行政史研究』という本。卒論を書くにあたって示唆に富んだ内容が分かりやすく書かれていて、すごく勉強になったわけです。で、卒業したら是非この先生のところで勉強したいと思って、大阪大学の大学院に行ったんです。
大学院に入って先生に言われたことは「教育を勉強するなら、まず外国の教育に関する研究をやりなさい」ということ。子育てしてきたお父さん・お母さんは、自分自身が生徒として教育を受けた経験もあるし、いろいろ悩みながら我が子を育ててきたわけだから、いわば実践経験に基づいた教育のプロ。教育に関わる問題について「教育はこうあるべき、教師はこうあるべき」と言うならジャーナリストや教育評論家がよっぽど気の利いたことを言う。そんな中で、子育てした親や評論家にないものの見方や考え方がないと教育研究者としての存在意義がない。外国の教育を研究するということは、結局自分たちの国の教育を客観的に相対的に考えることに繋がるわけです。だから外国の教育事情を研究しろと。
それで選んだのはアメリカ。別に好きな国でもなかったけど、研究室で誰も手を挙げなかったから自分が、という消極的選択だったんよ。でも研究すればするほど奥が深い。修士課程で2年勉強しても物足りなかったので、博士課程でも3年。それでも物足りない。こうなればもう研究者の道しかないと、院に残ってコツコツ研究しているうちに短期大学の講師として採用されて、その時すでに34歳。30過ぎて学割使ってました。映画館行くにも学割。
スーパーでバイトする教師
アメリカの学校は、州によって教育制度が違うし、学校によっても違う。各地域が自分たちの学校を作っていく感じ。日本だったらどこにいたって同じようなカリキュラムと教科書で、どこも変わらないでしょ? そういう意味ではアメリカは多様性の国ですね。
他にも、アメリカの学校ではいろんな専門家がいて分業体制になっている。教師は自分の授業時間以外は自由なんですね。夕方スーパーマーケットに行くと、3時半ごろまで授業してた先生がアルバイトしてたりする。じゃあ生徒指導は誰がやってるかっていうと、専任のスクールカウンセラー。福祉関係ならスクールソーシャルカウンセラーという人たちがやってる。
そう考えると日本の先生は、大変なんですね。生徒指導も授業も1人でやってるから、アルバイトするヒマなんてないんです。職務専念義務というのがあって、基本的には先生以外の仕事はできないしね。
アメリカの底力を支える教育
アメリカのイリノイ州にある北イリノイ大学に家族一緒に1年間留学したことがあります。子どもはその頃中学1年生。1月生まれだから、アメリカでは日本より1学年下のミドル・スクール第6学年。だから英語がしゃべれないまま現地の学校に転校したんです。そしたら、転校した次の週からなんと日本語ができる先生をわざわざ僕の子どものためにつけてくれたんよ。
アメリカには、英語を母国語としない子どもが学校に入ってきたら、必ずその母国語ができる人を非常勤の先生として雇わなければいけないという法律があるんですね。その頃、大学には日本からの留学生が10人前後。大学近辺ではアメリカ人と結婚している人を含めて10人くらいの日本人が住んでた。そんな中で、日本語が話せる人、なおかつ仕事を持ってなくて、昼間に教えに来てくれる人なんか探すのは難しいけど、それをやってくれるんですね。それにはびっくりしたね。
授業の中身も日本とは違いますね。例えば理科の授業の話をすると、最初の2ヶ月間は細胞の話しかしない。次の2ヶ月は遺伝子の話しかしない。日本だったら広い範囲で万遍なくやるよね。アメリカは、ひとつのことを徹底的に、いろんな角度から掘り下げて勉強するんです。だから知識量としては、アメリカは日本の3分の1ぐらいかもしれないね。
日本は広く勉強するから、多くの人が平均的な知識を持っていて、それが日本の労働者の質の高さと良い製品を生み出していると思う。それは日本の力強さだよね。アメリカは、ある部分を取り上げて徹底的に深くやる。そういう教育がいろんな分野で独創的な人材を育んでいる。アメリカが持つ力強さの源泉はこういった教育にあるんですね。
学ぶべきは意欲や熱意
僕が学んだ大学では新入生に大学から「サバイバルキット」というものが渡される。中身はシラバスとか履修に関するものなんですが、アメリカの大学はなかなか卒業させてくれないんですね。だから「自分で生き延びていけよ」という意味でサバイバルキットなんだろうね。
アメリカの大学の授業も、大きな講義もあれば少人数の講義もあります。でも少人数制の授業では「質問はありますか?」って聞かれて、日本では手を挙げる人は少ないよね。アメリカの学生は必ず手を上げるんです。意欲や熱意といった学問に対して主体的に取り組もうという姿勢は日本の大学生も学ぶべきですね。
院生のころは、アメリカの教育研究をさっさと片づけて、日本の教育行政の歴史に取り組むつもりだったけど、アメリカで教育について研究している研究者なんかは日本と比較にならないくらい多いし、研究もすごく進んでいて奥が深い。僕はほぼ毎年アメリカに行って、あちこちの教育委員会とか学校に行ってインタビューしてるんです。去年と今年は「教員の給料は、誰がどういう風にして決めるのか」ということを調べにイリノイ州とインディアナ州に行ってきました。
アメリカの教育の研究に「決着をつけたい、つけたい」と思いながらも、気が付けば未だにやっている。決着とは今までの研究成果をひとつの本にまとめることですね。今、取りかかってますがまだまだで、それに決着をつけたら日本のことも…。もうその頃にはエネルギー残ってないんちゃうんかと思ったりするけどね。
人間行動学科 人間形成領域 小松 茂久 教授
1953年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程を単位取得満期退学。学術修士。また、1996年から97年にかけて米国北イリノイ大学へ客員研究員として留学。主な研究課題は米国教育政治史研究、米国教育行財政研究、学校規模と学級規模など。