2005年11月号

喋ることで思いを届ける

三木市といえば、「グリーンピア三木」しか思い浮かばない。その三木市で コミュニティFMのパーソナリティをしている卒業生がいるという情報が入った。三木市がどこにあるか分からない。コミュニティFMが何なのかも分からない。不安と期待が交錯する中、地図を片手に向かった。
(文 北丸純矢)

 

市役所の一角にあるスタジオで

「おはようございます!うえのまる発・情報満載ラジオ。今週もパーソナリティは安随京子とアシスタントの梅谷陽子でお送りしていきます!」
8月22日月曜日、朝10時。軽やかなBGMと共に3時間の生放送がスタートした。
「もう8月も終わりに近づいてきたせいか、朝は涼しくなってきましたね。」
「そうですね。」
「私は夏が好きなんで、ちょっと名残惜しいんですけど。」
「もうお祭りとかも終わっちゃいますしね。」
「そうなんです。先週の日曜日も三木市であったお祭りにこのエフエムみっきぃも参加しました。そこでいろんな人に出会えて楽しかったんです。」 身振り手振りを交えた安随さんのトークにアシスタントが応え、番組はテンポ良くスタート。失敗の許されない生放送を、あうんの呼吸で進めていくスタッフワークに舌を巻く。最初のコーナーが終わりマイクのスイッチをOFFに。
「はぁ~。」
安随さんの深呼吸で張り詰めた空気がなごむ。
スタジオを見渡してみる。
前面がガラス張りの小さな部屋、朝日がまぶしい。細長い6畳ほどのスペースに山のような放送機材と4人ほどが座る事ができるテーブル。
今この部屋にいるのはパーソナリティの安随さんとアシスタントとミキサー、そして私。

 

町に活力を与える大きな口コミ

「エフエムみっきぃ」は三木市のコミュニティFM局だ。市町村など限られた地域に電波が届くFM局で、通常のFM局やAM局では取り上げられることが少ない地域密着情報を提供するのが役目だ。全国では175局(2005年4月1日現在)、近畿圏では阪神・淡路大震災を機に、1992年から10年余りの間に25局に増えた。兵庫県だけでもなんと10局ものコミュニティFMが開局されている。
12月1日に開局10年目を迎える「エフエムみっきぃ」だが、番組放送以外にも三木市からイベントの企画や運営を請け負って司会進行をパーソナリティが手掛けるなど、市民には知られている存在だ。また災害発生時には、こまめに被災状況をレポートするなど、コミュニティFM局ならではの報道により、今では三木市にとってなくてはならないメディアになっている。
正午の少し前、「三木警察署ホットライン」のコーナーがはじまった。電話口からインタビューに応えるのは三木警察署地域課の職員。
「こんにちは。先週末から今日にかけて三木や吉川で起きた事件や事故はありましたか?」
「土曜日の朝に店舗荒らしがあり、売上が盗まれるという被害がありました。車上荒らしもここ最近頻繁に起こっています。ですから、車の鍵の閉め忘れなどに十分に注意して、防犯意識を高めていただきたいです。」
メモに鉛筆を走らせながら安随さんが応える。
「店舗荒らしに車上荒らし、物騒ですね。防犯対策と防犯意識の重要性が改めて分かりました。ありがとうございました。」
こんなローカルな話題、通常の放送局ではまず聴けない。

 

夢を封印して現実路線へ

「物心ついた時から家ではいつもラジオがついてました。朝起きれば母が2階でラジオを聴いていましたし、1階に下りればそこでも誰かが別の局の放送を聴いていました。いったい自分は何の仕事をしたいのだろうと考えた時、いつも身近にあったラジオから聞こえてくる声が浮かんだんです。」
といっても社会のこともマスコミのこともなにも分からない。とりあえず授業のない時間を利用して大阪の声優養成所に通い、就職活動では放送局関係を狙う。
マスコミといえば超人気業種。在学中からマスコミを目指して準備する学生も少なくはないが、ほとんどが夢に終わる。
「やっぱり難しかった。それで夢を抱えつつも現実路線へ。受験企業の業種などを広げ、就職活動する中で、ダンボールや紙のパッケージなどを作るメーカーに就職することができました。」
入社後、配属されたのは総務課。
「社員の勤怠表・残業申請などの管理、営業日報などの集約、郵便物の仕分けや発送、その他の雑務など、総務の仕事は忙しかった。」
その時の経験が、「エフエムみっきぃ」で生きてくることになる。

 

総務での経験が生きる

卒業後、会社勤めの一方で社会人劇団でも活躍。劇団風斜の「坂の上の家」で女子高校生役を演じる。

社会人になり、目の前の仕事にがむしゃらに取り組んでいたある日、回ってきた家の回覧板に挟んであった「コミュニティFM開局に伴うスタッフ募集」のチラシが目に留まり応募する。そして声優学校で磨いた「喋り」を武器に、10倍の倍率を突破し、めでたく合格。
「さぁ、喋ることができると思っていたんです。ところがいざ入ってみると、いろんな仕事が待っていた。」
元テレビ局で働いていた経験者を含め、たったの4人でスタート。なんの仕組みも出来ていない中で、役立ったのが総務課で働いたという経験だった。
「会社という組織で働いていたから、営業や出演依頼、スタッフ集めなど、やることがたくさんありましたが、それらをどうさばいていけばいいのか、ある程度基準を持って考えることができました。」
安随さんは今でも営業や企画構成、本番中の音声調整をするミキサーの仕事などいろんな仕事をこなしている。もちろんパーソナリティも。
「演劇好きで、働きはじめてから神戸のアマチュア劇団に参加しました。仕事と違うことに取り組むことがどれだけ気分転換になったことか。その経験が言葉に心を込めるいいトレーニングにもなりました。」

 

夢に向かって一歩踏み出す

3時間の番組も気付けば終盤に。安随さんはデスクの上の時計を横目に「今日のお知らせ」の原稿を読み上げていく。
「今日のパーソナリティは安随京子とアシスタントの梅谷陽子でお送りしました。」 慌てもせず、間延びもせず、ごく自然にジャストのタイミングで番組は終わった。
スタジオは、ラジオから聞こえてくる落ち着いた雰囲気とは大違いの、緊迫した3時間だった。
わたしたちが職業というものを考える時、なんとなく「憧れ」の仕事がしたいと思う。しかし多くは、なんのアクションを起こすこともなく、気がつけば就職活動の季節を迎え、急き立てられるかのように身の丈にあった現実社会へと向かっていく。
では「憧れ」の仕事は夢なのか、宝くじのようなものなのか。
子どもの頃から、ラジオから流れてくる声に親しんだ安随さん、「喋る仕事につきたい」という思いは、なんとなくマスコミの仕事がしたいといった思いつきの「憧れ」よりも、もっと明確だ。それに加えて具体的なアクションがあったからこそ、この仕事に巡り会えた。
「この先何があるか分かりません。でもどんな形であれ、喋るという仕事に関わり続けたい。」と安随さん。
とりあえず夢に向かって一歩踏み出してみる。そして行ける所まで行ってみる。すると、彼女のように世の中のどこかにある自分の居場所が見つかる気がした。

 

 

卒論ダイジェスト

市民文化ホールの現状と未来竏虫O木市文化会館を例にして竏・/h4>  昭和30年代中頃から建てられ始めた公立の文化ホールは、都市文化の受け皿でしかなく、地域文化の発展に貢献すべき公立文化ホールの意味をなしていないなどと指摘されるようになってきたことを挙げ、三木市文化会館を題材にその実態を検証している。
三木市文化会館は、町の体裁を考えた自治体の思惑と市民の要望があいまって、市民の文化活動の拠点として、昭和61年に開館。音楽、演劇、式典、講演会、映画など多目的に使用されているが、その内容は文化と呼ぶには値しにくいカラオケなどが主であり、市民の文化関心度の低さが問題であると述べている。
次に、三木市文化会館が抱える問題点を挙げ、これからの方向性を探る。その問題点の一つは、市民が気軽に行きにくいところに建っているという立地条件の悪さであるとし、解決策として、ホールの周辺に人が集まりやすいよう、公園や飲食店をつくることなどを挙げている。
最後には、公立文化ホールをより有効に使うためには、市民がもっと文化に関心を持つことが重要であると述べ、すべては市民の主体性に委ねられていると締めくくっている。