矢嶋教授が担当する人間文化学研究科歴史情報論専門講義Ⅰで東灘区の御影・住吉付近のフィールドワークを行いました

近代に形成された旧邸宅街を歩きました

近代に形成された旧邸宅街を歩きました

 6月22日(日)に、矢嶋教授が担当する大学院人間文化学研究科歴史情報論専門講義Ⅰを受講する修士課程2年のトライノ・アンナさん、尾嶋大紀さん、佐竹隼乙さんら4名の大学院生が、テキストとして使用した専門書で、近世の江戸における人口や近代の東京における鉄道敷設と郊外住宅地開発を取り上げた章を閲読したことをきっかけに、近代に鉄道敷設を背景にして近世的な農村から大都市郊外住宅地へと変貌を遂げた神戸市東灘区の御影・住吉付近においてフィールドワークを行いました。

 

 受講生に地誌に関心を持つ院生や、地歴科専修教員免許状の取得を目指している院生、日本文学にも関心を持つ院生がいることから、フィールドワークでは、住吉川扇状地の地形と御影・住吉付近の人々の暮らしとの関係性や歴史的変遷について把握するとともに、1938年に発生し谷﨑潤一郎の小説『細雪』にも取りいれられた阪神大水害の痕跡や谷崎の足跡を辿り、地域の総合的理解を目指しました。

阪神大水害の記憶を伝える「有備無患」の記念碑を視察しました

阪神大水害の記憶を伝える「有備無患」の記念碑を視察しました

 阪急御影駅に集合し、近代に建てられた大阪や神戸の豪商の旧邸宅や、この地域の特徴的な景観といえる花崗岩を積み上げた石垣を眺めながら、復元された灘目の水車がある山田区民館前に到達しました。ここで矢嶋教授から、江戸時代には油絞りや酒米の精米などに利用されていた水車が水路沿い並んでいた説明を受け、たまたま訪れていた地元の関係者に、復元された水車や井戸の現況について聞き取り調査を行いました。その後、有馬温泉へつながっていた有馬道を経て、住吉川が左にカーブする白鶴美術館付近で、阪神大水害後に旧内務省によって住吉川に建設された治水施設と扇状地の地形について説明を受けた後、野寄公園に当時の本山村村長によって1941年に設置された「有備無患」(備え有ればうれい無し)の記念碑を視察しました。また、国土地理院地理院地図に記念碑の地図記号がこの場所に記載されていることも確認しました。

 

 続いて、土石流が分岐をした阪急電鉄の鉄橋を確認してから、土石流の被害を受けた旧住友本家本邸跡(現在は集合住宅)に残る塀などについて矢嶋教授の説明を受けました。その後住吉川沿いに戻り、甲南小学校横に設置された細雪の記念碑を確認したのち、JR東海道本線と住吉川が交差する地点で、矢嶋教授からこの場所の景観が有する特性についての問いかけを受けた4人は、川面の様子や鉄道の位置を観察しながら議論をしました。その後、小説『細雪』の舞台となった谷崎潤一郎旧邸倚松庵を訪れ、昭和戦前期の郊外住宅の建築や谷崎によって書かれた手紙の複製などを見学したのち、住吉川河口域に位置する菊正宗酒造記念館を見学し、水車による精米について展示で触れていることを確認しました。

住吉川の河口近くに位置する菊正宗酒造記念館を見学しました

住吉川の河口近くに位置する菊正宗酒造記念館を見学しました

 その後、南魚崎駅から六甲ライナーで住吉駅に向かい、駅の西方に位置する西国街道と有馬道の分岐点を確認したのち、住吉村の氏神である本住吉神社を見学し、フィールドワークを終えました。

住吉川河口まで歩き扇状地に形成された天井川がどういったものか理解しました

住吉川河口まで歩き扇状地に形成された天井川がどういったものか理解しました

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