Vol.23(2012年12月)
前畑 政善

面白いか、面白くないか、好きなことはとことん。

子供のころの魚釣りで得意だったナマズ採り。紆余曲折を経て、それがライフワークに。
ILLUSTRATION 本城 佳菜 / TEXT 筒井 翔兵 / PHOTO 金本 夕貴

 

 

専門は魚類生態学

ナマズはとても面白いですよ。人間のように、三角関係もあるんですよ。メスが多い琵琶湖周辺の田んぼでは、オスに選ばれるためには喧嘩もせずにじっと待っている、「私を選んでよ」と。
私の出身は福井県の大野市。子供のころから魚採りして遊んでました。魚を採るのも食べるのも大好きで、特にナマズ採りが得意です。本格的にこの分野の勉強を始めたのは大学生のときです。高知大学農学部栽培漁業学科に入りました。そして大学の裏手に海があったのにもかかわらず、それには目もくれずに、日本三大清流のひとつである四万十川に生息するアユの生態を研究していました。四万十川、仁淀川、物部川などでひたすらアユを採ってました。物部村は柚の産地で有名ですが、そこに住んだころは、近くの河川で日本の伝統的な漁法である延縄(はえなわ)漁でナマズ採りをして、土佐式投げ網技術をマスターしました。採れたナマズやウナギは蒲焼にして食べたりしてました。私の卒業論文のテーマは、「四万十川におけるアユの産卵生態」です。
大学を卒業してそのまま高知大学の院に進学しました。大学院では学部時代の続きで四万十川の魚類調査を行っていました。その中でも特にアユの産卵生態・生理を中心に調査しました。でも、院は途中で辞めました。その理由は、研究に飽きたからです。就職したいと思ったこともあるけど、なにより面白くなかった(笑)。
院を辞めて2週間ほどネパールに行って帰国後、昭和49年に、琵琶湖の滋賀県立琵琶湖文化館に就職しました。ここでは希少淡水魚の研究をしました。野外に造ったコンクリート水槽などを利用して日本の希少淡水魚約30種類の繁殖生態の研究に明け暮れました。淡水魚の健康や栄養の管理をしたり、卵を貝に産み付ける魚もいるので、その場合は貝も同じように管理していました。その結果、多くの希少魚類の繁殖技術を確立することに成功し「古賀賞」と「ハン六学術賞」を頂きました。

 

ビワコオオナマズとの出会い

1974年には琵琶湖に侵入したオオクチバスの生態調査を行いました。オオクチバスが何を食べているのか調べたんですが、その調査をやってる時に偶然出会ったのがビワコオオナマズです。体長が1メートルほどもある大きなナマズで、夜に琵琶湖に行ったとき、ビワコオオナマズが大群で産卵しているのを見かけたんです。夜行性で、水面近くまで上がってきて、オスがメスに巻きついて産卵をします。夜なので、大きいし、大群だしで見たときは驚きました。これがきっかけで、ビワコオオナマズについて8年ほど研究をしました。
ナマズの研究はアフター5に趣味でやってました。ナマズの仲間は先にも述べたように夜行性なんです。だから夕方6時ぐらいから明け方まで、ずっと琵琶湖で観察してたりしてね。明け方、頭がぼぉ~としてるんですが、そのまま仕事に行きます。そんなことがニ晩続くときもありました。車で岡山まで行って田んぼを見て、朝に帰ってくる、なんてこともありました。夜だし自然の中だし、危険な場面にも何度か遭遇しました。いちばん恐ろしかったなと思うのはクマに遭遇したときです。ヤブの方からガサガサ音が聞こえて、なんだろうと覗きに行ったら光る2つの目と合って。ほんの5メートルくらいの距離でした。どうしようと思っていたら、クマのほうが逃げて行きました。臆病なクマで幸運でした
44歳の時、文化館を辞めて滋賀県立琵琶湖博物館に勤務しました。ビワコオオナマズ、イワ卜コナマズの繁殖生態の調査をほぼ終え、水田地帯で産卵するナマズの繁殖生態の調査を始めました。以後、ナマズのみならず、水田地帯に出現する魚類の生態に調査を手がけ、現在もこれが研究テーマとなっています。

 

英語の論文を書くために猛勉強

このときに館長に博士号取れって言われたんです。それまで趣味でやっていたナマズの研究ノートでまだまとめていないものがあったので、それで次々論文を書きました。せっかく博士号取るなら京都大学で取ろうとしたら、英語で書けと。私は、高校以来英語なんかまともに勉強したことないので、勤務から帰ってから深夜まで勉強して、3時間寝たら仕事に行くという生活をしていました。勉強の仕方はひたすら辞書を引いて書く。それを知り合いの外国人に添削してもらうっていうやり方でした。3~4年間必死で勉強しました。そのおかげで、今や英語で仕事のやり取りをしています。
必死で勉強して、英語の論文を5つ6つ書いて博士号を取得できました。本当に好きなものだったら、頑張って、5年や10年必死にやってたら道が聞けてきますよ。本当に好きだったから私はしんどいと思ったことはなかったです。ただ、辛いなって思ったのはお酒とパチンコができなかったこと。これは博士号取るまでやらないぞ!と自分で禁止してました。
論文はすべてナマズ類のことで書きました。これもやはり産卵生態についてです。論文が受理されたときは本当に嬉しかった。苦労したことが認められるのはやはり嬉しいですね。その甲斐あって、京都大学理学部で博士号を取得することができました。

 

整えられた水田に生き物は戻れない

田んぼは、昔からその家や土地に受け継がれ、いろいろな形がありました。しかし、それらはかたちがいびつだから耕作のための機械が使いにくい。そこで、田んぼの形が整えられ、水路もきれいに整備されました。おかげで大型機械には適したものになりました。しかし、そこに生息していた生き物たちはいられなくなりました。田んぼは水路と繋がっており、雨が降ると魚が水田に入り、卵はそこで育って、ある程度大きくなるとまた水路に戻ります。これができなくなってしまったからです。現在、本当の自然というものは、もうほとんどありません。あなたたちの世代の知っている自然はもう自然じゃないんです。いろんな生物がいるから地球は成り立っています。だから野生の動植物は絶やしてはいけないのです。

【古賀賞】
上野動物園長を務めて日本の動物園を世界レベルに育てた故・古賀忠道博士を
たたえて87年に創設された。希少動物の繁殖などの功績に贈られる動物園水族館の
最高賞といわれる。

【ハン六学術賞】
大津市のハン六文化振興財団が学術や地域振興をはじめ、スポーツ、文化などの分野で
優れた業績を挙げた地域の個人・団体を対象に1987年から毎年続けている顕彰制度。

 

 

 

前畑 政善

人文学科 前畑 政善
高知大学大学院 農学部栽培漁業学専攻 1974年中退
1974-1995 滋賀県立琵琶湖文化館 学芸員
1996-2010 滋賀県立琵琶湖博物館 上席総括学芸員
2011-   神戸学院大学人文学部 教授
理学博士(京都大学) 2002年