Vol.22(2012年3月)
木村 昌紀

コミュニケーションを考える

社会に出ると、さまざまな年代の人たちと付き合い、会社に貢献しなければならない。
グローバル化が進み、さらに複雑になった社会では、さらなる能力が期待されてプレッシャー…。
こんなご時世だからこそ、コミュニケーションの心理学を研究している木村先生に、いろいろ語ってもらいました!
TEXT 釜屋 美春/PHOTO 串田 綾香

 

 

現代の若者はコミュニケーション下手?

現代の若者はコミュニケーションが下手だ、とは一概にいえない気がします。今、若者は携帯電話やメール、フェイスブック、ツイッター等を使いこなしているわけですよね。多様な道具を場面に応じて使い分ける点では、現代の若者はコミュニケーションが上手ともいえそうです。コミュニケーション下手という批判は、年齢の異なる年上や年下の相手とコミュニケーションができない点からいわれているような気がします。このことは、近所付き合いのあり方が変化してきたことと関係がありそうです。昔は近所で年齢関係なく交流していて、そういう機会がコミュニケーションのトレーニングになっていた。でも今は近所付き合いが薄くなり、普段話すのは同級生の友達ばかりだとすると、同級生相手は慣れているけど、年の違う人たちと話すのが苦手になる可能性が高いです。社会環境が変わったことで、得意なコミュニケーションの種類が変わってきたのではないでしょうか。
ちょっと大きな話になりますが、若者に限らず、現代社会の変化によって、これまでと同じやり方でいると、コミュニケーションが難しいって思うことが社会全体で多くなっている気がします。例えば、今はグローバル化が進んで、異文化コミュニケーションの機会が増えています。外国の人とのコミュニケーションは難しいですよね。当たり前だと思っていた言葉や普段の考え方が通じないから。また、最近は人の入れ替わりが激しい。働き方ひとつとっても、今までなら、同じ会社にずっと勤めるから、時間をかけて何度も言葉を交わすことでお互いを理解していた。でも、派遣や契約社員などの働き方で短期間しか会社にいないときは、多くのことを1回のやりとりや短いやりとりでうまく伝えあわなければならない。そういう人の動きの活性化も、コミュニケーションを難しくする要因でしょう。あとは、メールとかスマホなどの道具の台頭ですね。それを使いこなせなかったら、時代遅れとか言われますよね。コミュニケーションの道具が増えてきたことで、難しさを実感することが多くなっているんじゃないかと思います。ただ一方で、道具の発達によって、遠くにいてもつながっていられるから、コミュニケーションをとることは昔よりも圧倒的にやりやすくなっている側面もあるはずなんです。複雑ですよね。

 

起こりうるコミュニケーションの問題

長期的な付き合いが減り、短期的な付き合いが増えると、コミュニケーションのあり方にも影響します。私が以前にやった研究で、これからも関係が続くと思う「関係に対する展望あり」条件と、その場限りで関係が終わると思う「関係に対する展望なし」条件では、コミュニケーションにどのような影響が起こるのかについての実験があります。その結果、展望なし条件よりも、展望あり条件の方が、一生懸命相手とコミュニケーションしようとしました。たぶん、関係が続くと思うと、自分にとって相手の重要性が増すのだと思います。実は、この実験は、この相手と自分から関係を継続したいと思う場合と、実験者の僕が、この人と関係を続けてくださいと外から命令する場合で調べています。どちらも展望なしの場合よりも、展望ありのほうが一生懸命コミュニケーションするのだけれど、自分から関係を継続したいと思う場合は、より積極的に話すという結果でした。僕が外から言った強制条件だと、相手をじっと見る視線量が増える。視線量っていうのは、相手を観察してるんだと思います。よくわからない相手と、いかにスムーズに会話ができるかを探っているのかもしれません。自分から関係を続けたい場合だと、相手を観察するよりもむしろ、積極的に関係を構築していったのではないでしょうか。
他にも、日本人と中国人のコミュニケーションの違いを調べています。最近、日本人と中国人がコミュニケーションする機会が増えています。ところが、コミュニケーションがうまくいかないことも多いみたいで。どういうときにうまくいかなくなるのかを、日本人同士、中国人同士で会話をしてもらい、その会話の仕方を比較します。例えば、パーソナル・スペース。人が他者との間に保とうとする一定の距離のことです。これは、日本人より、中国人の方が近い。つまり心地よい距離が、日本人と中国人では違うことがわかります。この両者がコミュニケーションすると何が起こるのか、というと、日本人がちょうどよい距離だと、中国人にとっては少しさみしい。反対に、中国人にとってちょうどいい距離だと、日本人にとっては近すぎる。だからこれがコミュニケーションの問題になるかもしれないですね。

 

完璧じゃないからいいんだ!

でも、コミュニケーションが完璧な社会は出てこないほうがいいと思うんです。コミュニケーションの問題が起こる原因は、知識、考え、価値観がみんな違うからです。逆にコミュニケーションが完璧だってことは、考え方も知ってることも一緒っていう社会で、そんな社会は実は危ないんです。自然も含めて環境は変化していて、いつどこで何が起こるかわからないですよね。もし同じ知識や考え方の人しか集まってなかったら、平和なときはいいかもしれないけど、非常時のような環境が変化した際に誰も対応できなくて全滅してしまうかもしれない。いろんな人がいるってことは、いろんな環境が得意な人がいるっていう可能性があって。誰かの知識や考え方で困難を乗り越えられるかもしれない。いろんな人が同時に存在するのが社会だとすると、わかりあえない状況が常に起こり続ける。それは確かに不便なことだけど、環境がどんどん変化していくなかで、誰かがその状況を打開するキーマンになり得るかもしれない。だから、知識や考え方、価値観の異なるいろんな人がいながらコミュニケーションに取り組んでいる状態が、いい社会だと思うんです。
人文学部っていろんな先生がいるからいいですよね。研究をしているとバランスが悪くなっているんじゃないのかな、と思うときがあって。研究ってあるテーマをどんどん掘り下げていくものだけど、世の中にはおもしろいことが山ほどあるのに、ここしか焦点当てなくてもいいのかなって、たまに思うんですよ。もっといろんなことに興味を持ったほうがバランスよく生きていけるんじゃないかって。そういう意味では人文学部って、文学や心理、歴史、芸術、外国、地学、人類学など、さまざまな分野の研究をされている先生が集結しているから、そんな先生たちと話しをするのがおもしろいんです。いろんなテーマの人がいるっていうのは、自分の知らないことがそこに凝縮されてるってことで。ひとつのことしか知らない偏りが起こりにくいんじゃないかな。ひとつのことに集中するのもいいけれど、そういう意味での賢さも実はあるんじゃないかと思います。

 

 

 

木村 昌紀 講師

人間心理学科 社会心理学領域 講師 木村 昌紀
2007年3月、大阪大学大学院人間科学研究科人間科学専攻博士後期課程を修了、博士(人間科学)取得。その後、大阪大学大学院人間科学研究科で助教を務め、2009年4月より、神戸学院大学人文学部で講師として勤務。主な研究課題は、対人コミュニケーションの心理メカニズム、第三者介入による対人コミュニケーション支援など。