Vol.40(2021年3月)
野田 春美

身近な日本語を客観的に研究。日本語学で社会に貢献したい。

 

若者が連発する「やばい」「〜っすね」「あたおか」などの言葉。
でもどうしてそういう言葉を使うのか分かりますか?
グローバル化に伴ってますます重要度を増す日本語学。
野田春美先生に、日本語学を研究するに至った経緯を含めて日本語学について分かりやすく話をしていただきました。

 

外国語を勉強して、国際的な仕事をしたかった

高校のときに一番好きだったのは数学で、次が英語でした。小中学校の国語で、「主人公の気持ちは?」などと問われるのは好きではなかった。答えがはっきりしているほうが好きでした。
大学を受けるときに、外国語を勉強して、国際的な仕事をしたいなと漠然と思いました。通訳とか翻訳ですね。英語と違う外国語をやりたいと思い、東京外国語大学のフランス語学科に入りました。
大学1年のときに、いろんな人に出会う中で、自分が何をしたいのか分からなくなってきました。人の言葉を訳すだけの通訳・翻訳を私はやりたいのか?
その頃、難民の世話をしている団体や日本ネパール友好協会のお手伝いなどをしていた。社会の役に立ちたい、できれば国際的な仕事をしたいと思っていました。

 

日本語教師から日本語学の研究者へ方向転換

大学3年になるときに、アジアの留学生と日本人が一緒に生活する寮に入りました。マレーシアの子と2人部屋でした。自然と日本語を教えることが多くなり、日本語教師になろうと考え、日本語教育の勉強を始めました。
大学卒業後は、日本語学・日本語教育の分野で有名な先生の指導を仰ぐ形で、筑波大学の修士課程に入りました。修士の2年の時、日本語教育能力検定試験に合格しましたが、国際交流基金の専門派遣の試験に落ちました。その時点で海外で日本語を教える夢が断たれました。
そこで再度、自分を見つめ直した結果、「私はもっと研究をやりたい」と思い、大阪大学博士課程に入りました。そこで3年間過ごし、助手を2年間務め、園田学園女子大学に勤め、その後、こちらの大学に来ました。
最初は日本語教師志望でしたが、研究の面白さに目覚めたこと。それと、直接留学生に教えなくても、日本語教育に役立つ研究をすることで、間接的に日本語教育に貢献できるのではないかと考えるようになりました。大学で教え始めると、学生に日本語学を教えることで、ものごとを考える力をつけさせることも世のためだと考えています。

 

日本語を外国語のように客観的に研究

もともと「国語学」という言葉があります。文学を対象とする国文学と並んで、言語学的な視点で研究を行います。
それに対して「日本語学」が発展してきたのは、日本語教育との関係が大きい。日本語を母語としない人に日本語を教えるには、国語学とは違う視点で、日本語を外国語として教えるために、客観的に見ることが必要になります。そうした考え方にもとづいて、一言語としての日本語の仕組みを広く深く研究する学問が日本語学です。
母語だと微妙なニュアンスが分かります。理屈じゃない。「なんかこっちの方がいい」「しっくりくる」。そこが母語をやっている強みで、私が日本語学に進んだ理由です。何かもやもやする日本語を客観的に研究する。私が最初に話をした数学が好きだったこととも結びついていますね。

 

無意識に使っている日本語に疑問をもつ

私たちにとって日本語は身近なもの。空気のように無意識に接していますが、実はいろいろと謎があります。だから当たり前と思わない。「どういうことなんだろう?」と疑問を持つことが大切です。
例えば、若者は何でも「やばい」という。あるいは、「おつかれっす」「そうっすね」「そんなこと、ないっす」という。でもなんで自分たちはそんな言葉を使うのか、疑問に思ってほしい。
「疲れた」というマイナスの感情を表す方言は、「しんどい」とか「えらい」とかいろいろあります。母語である方言の方が本音を出しやすいからです。逆に「嬉しい」「楽しい」といったプラスの感情を表す方言は少ない。
実は、若者言葉にも、「むかつく」「KY」「だるい」「うざい」など、マイナス表現は圧倒的に多い。つまり若者もマイナスの感情を本音で言い合いたい。そして大人には分からない言葉を共有して盛り上がるわけです。

 

言葉は「正しい」かどうかだけでは判断できない

高校までは、つねに正解があると思って勉強をしています。だから学生から「この表現は正しいんですか?」と聞かれます。あるいは「美しい日本語を話したい」という。立派な心がけですが、言葉にはいい加減なところもあって、何でも正しいかどうかで判断することはできない。
例えば、接客の場面で店員が「カシスオレンジになります」という。その「〜になります」表現が非難されます。でも使う側は「〜です」では物足りないけど、「〜でございます」というほどの店ではない。だから「〜になります」くらいがいいのではないかと。だから、「それは間違っている」と決めつけることはできないのです。
学生の皆さんには、身近なことに疑問をもって、考えることを楽しんでほしいですね。出処の分からない情報で、「これは正しい」「正しくない」と決めつけないでほしい。立ち止まって、「どうなんだ?」と自分で考える姿勢をもってほしいのです。
これからどんな仕事をするにしても、言葉はついて回ります。言葉に敏感になって損はありません。言葉を考えることは、人間を考えることなのですから。

取材・文/見坂侑哉

 

野田先生の著作

野田 春美

 

1964年 福岡県生まれ
1986年 東京外国語大学(外国語学部フランス語学科)卒業
1988年 筑波大学大学院修士課程(地域研究研究科)修了
1991年 大阪大学博士課程(文学研究科日本学(言語系))単位取得満期退学
1994年 博士(文学)
2000年〜 現在 神戸学院大学人文学部 助教授/教授