Vol.38(2020年3月)
出水 孝典

言葉はすべて価値観を含んでいる。言葉を使うとき、ふと立ち止まって考えよう!

 

ファッションでも独自の個性を放つ出水孝典先生の専門は英語学と言語学。
一見難しそうだが、言葉は私たちがいつも使うもの。

 

推理小説やラノベ、ジェンダーなどを例に挙げながら、動詞の分類、ポライトネス、価値観などについて、そして言語学の魅力を、自らの体験を交えながら分かりやすく説明していただきました。

 

小説の言語表現に興味。高校時代から英語も好きに!

もともと小学生の頃から推理小説を読むのが好きでした。「何でそういうふうに表現するのだろう?」と不思議で、すごくおもしろく、その頃から小説に出てきた分からない言葉や漢字を国語辞典や漢和辞典ですぐ調べて喜んでいました。そういうところから、言葉に対する目は開かれてきたのかなと思います。

 

なぜ英語を専門にしているのか、ということですが、高校時代の体験が影響しています。妙な縁で3年間担任は英語の先生でした。とくに高2のときの先生が厳しいけど、いい先生で、それで英語はしっかり勉強しようと思ってやっていたら、おもしろくなってきたのです。
結果、立命館大学文学部文学科英米文学専攻に入学しました。小説が好きなら普通は文学をやるのですが、私はむしろ単語の意味に興味があって、英語学をやることにしました。

 

一つの動詞は、様態か結果のどちらかしか表さない

推理小説を読んでいたときから、ずっと疑問に思うことがありました。
例えば、同じ状況を「犯人は被害者を殺した」とか、「犯人は被害者を殴った」と表現できます。この場合、それぞれ表現されていない部分が違う。つまり、「殺した」という場合、どうやって殺したか分からない。逆に「殴った」と言った場合、死んでしまったのか、大けがをしたのか分かりません。

 

実は、「殺す」は結果動詞、「殴る」は様態動詞であり、2種類の有名な動詞の分類だったのです。私がずっと幼い頃から思っていたことが、現代の言語学で扱われている。だから単語の意味はおもしろい。

 

移動を表す場合も、同じように結果動詞と様態動詞があります。「犯人は水道橋を歩くのを目撃されています」だと、神田の古書店街に行ったのか、東京ドームに入ったのか、などは分からない。「歩く」は移動の様態しか表していないからです。一方、「犯人は水道橋駅に着くのを目撃されています」という場合、「着く」という結果は分かりますが、どうやって着いたのかは分かりません。

 

実は英語でも日本語でも様態動詞と結果動詞があって、それぞれ表している部分が違う。つまり様態動詞は「どのように」を表しているが、「どうなったか」は何も言っていません。逆に結果動詞は、「どのように」は言っていなくて、「どうなったか」は言っている。一つの動詞はどちらかしか表さない。両方表す動詞ってないんです。複合語とか修飾語とかにしないと絶対に表現できない。これがおもしろくて、私はずっと研究しています。

 

ライトノベルで、表現の間接性・直接性を探る

動詞以外でやっているのは、表現の間接性・直接性の問題です。伏見つかさという人が書いている『エロマンガ先生』というラノベ(ライトノベル)があります。これを私は言語学的に分析してブログに書いています。「エロマンガ先生 言語学」と検索すると出ます。

 

 

物事は、はっきり言った方がいい場合と、言わない方がいい場合がある。例えば、相手をほめる場合は、はっきり言いますよね。逆に皿を割ったバイトの子に、「不注意だよ」と言ったら感じが悪いけど、「もう少し注意深くできるでしょ」といったら角が立たない。

 

つまり相手にとって得になったり、褒め言葉になったり、同意したりする場合は、はっきり言った方がいい。逆に相手にとって損なことを頼んだり、ディスったり、相手に反論する場合は、遠回しに言った方がいい。ただそれは相手との距離感によって変ることもあり、仲のいい人に遠回しな言い方をすると、よそよそしいと思われたりする。

 

この種の研究を言語学では、ポライトネスと呼んでいます。「感じの良さ」ですね。要は、相手の願望を叶えるのが、ポライトネスなんです。そういう研究もずっとやっていまして、それをラノベに当てはめたのが、2つ目のテーマです。

 

ジェンダーバイアスのかかった言葉

3つ目のテーマは「ジェンダーと言葉」ですが、これは私自身の問題と関係があります。私はトランスジェンダーといって、出生時の性別に合わせた生き方ができなかった人間です。
小さい頃、悲しいことがあって泣いていたら、よく父親から「男のくせに泣くな」とか、「女のくさった」などと言われました。これジェンダーバイアスを含んだ言葉で、言葉そのものに価値観が含まれています。

 

もっと巧妙な形で価値観が含まれている言葉があります。例えば、「主人はいまおりません」とか、「うちの家内がね」とか言います。主人って言葉は、本来はアラジンのランプの魔人が使うような言葉ですが、普通に「ご主人様はご在宅ですか?」と聞く。男性の方も、「うちの家内が」なんて言う。家内というのも、家の内にいる人ということで、価値観を含んでいます。

 

さらに問題なのが、オウム真理教が人殺しのことを「ポア」と呼んだり、介護施設で、ベッドに縛り付けて介護することを「抑制」と呼んだりする場合のように、言葉を言い換えることで事実を隠蔽できることです。だからナチスが、ユダヤ人虐殺を「最終的解決」と呼んだりする。そういうことを意識すべきだということも授業で教えています。

 

言葉は怖い。無意識で使っているから

もともとの研究テーマは動詞だったんですが、そこから広がっていって、結局すべてに共通しているのは、「はっきり表されていること」と、「はっきり表されていないこと」です。これがキーワードです。言葉は怖いです。無意識で使っていますから。とくに口語の方が、価値観が入っていることが多い。

 

学生に伝えたいのは、言葉を使うときは、ちょっと立ち止まって考えてほしいということ。話す場合、その言葉でいいのか、相手の話を聞く場合は、相手はなぜその言い方をしたのか。
話が通じない人というのは、そういうところができていないことが多い。意識すれば日本語も正確に理解できるし、人間関係もよりうまく構築できると私は信じています。

 

取材・文/白 健

 

出水 孝典

 

1973年生まれ。
1995年立命館大学文学部文学科英米文学専攻卒。
2000年同大学博士後期課程単位取得満期退学。
2008年神戸学院大学人文学部人文学科准教授。
2017年同教授。