Vol.43(2022年9月)
森栗 茂一

幅が広いから、面白い。
歴史を応用して、社会を変えてやろう。

ユニークな研究と実践的なまちづくりで知られる森栗先生に、
民俗学に進んだきっかけからまちづくりへの関わりまで、縦横に語っていただきました。

 

阪神大震災を機に、まちづくりに関わる

―研究分野について教えてください。

僕は、民俗学というものをやっていました。民俗学というのは古いことを扱うんですが、僕は神戸の長田区生まれで古いことは分からないから、都市の民俗学というものをやってきたんです。実は大学は歴史地理学なんです。日本史の研究者なんですが、本当は歴史でなくて地理なんです。こういうのを隠れチリ(地理)シタンというんですね。民俗学なんて学問じゃないですよね、とかいう歴史の先生方と喧嘩をしながら、大阪外国語大学で都市民俗学をやっていたときには、併任で国立歴史民俗博物館の客員助教授をしていました。それが1995年に阪神大震災があった時、研究が変わって、まちづくりに関わるようになったんです。それでも町の歴史とか町の生活とか、そういうところからまちづくりを考える研究になってきたんです。学術的に意味があるのか?とか、周囲からはなかなか理解されにくい研究ですが。

大阪外国語大学が大阪大学と合併した時に、総長の鷲田清一先生に理系の大学院でまちづくりを教養として教えてくれと頼まれて、会話・話の仕方、物語をつくるというような教育を大阪大学でやっていました。それから大阪大学を定年になったときに、生まれ故郷の神戸学院大学から声がかかって久しぶりに歴史を教えることになったんです。神戸学院大学といえば、元は森女学校、長く長田のそばにありましたからね。

大学受験の失敗が、民俗学に進むきっかけだった

―この分野に進むきっかけは?

大学1年生の時に、神戸大学を落ちて、仕方なく大阪教育大学に行きました。面白い先生なんかいないだろうと思っていたら、たまたまテレビに出まくっている鳥越憲三郎という民俗学の先生がおられたから、そこに飛び込んだ。民俗学に興味があったわけじゃない。神戸大学に落ちた、何か見返してやりたい、それが一番のきっかけです。そんな決め方で良いのか?そんなんでええんです。

中学校の時のあだ名が「ゲテモン」やったんですね。深く考えているから、人からは気持ち悪がられたんと違うかな。先生からも嫌われていた。理解されない。でも、今から考えたら、理解されないから、理解されようと努力しつづけたことが今につながっているのと違うかな。

今は、僕、いっぱい友達がいるんです。こんな変な研究しているのに、一緒にやりたいという人がいっぱい集まってくるんです。例えば、もう67歳にもなるのに、東京大学の先生が一緒にやりたいと言って、1億円の予算のプロジェクトが始まったんです。つまりバカにする人もたくさんいるけれど、ものすごい人がなるほどといって分かってくれる。だから意外に人に理解されないということは大切なことかもしれないね。

歴史を応用して、社会を変えたい

―今後やってみたいこと、目標は何ですか?

歴史の分野を研究するのではなくて、歴史を生かしたまちづくり、歴史を生かした国土計画、地域づくりのようなことがしたい。歴史のために歴史を研究することにはまったく関心ありません。たとえば、今やっているのは、天竜川の上流の山林地主のお嬢様の話を聞いています。そういう歴史を生かして、地域づくりをどうするかというようなことをやっています。

学問はひとつと違う。歴史だったら歴史をずっとやっているというのも良いけど、幅広くいろんなことをやっているというところが僕の面白いところです。だから、学生さんが何を持ってきても全部、一緒に考えることができるんですね。めちゃくちゃ幅が広いから、分かりにくいけど、そこが面白いんです。

歴史には二種類、研究があって、専門家になるということは史料批判ができるということが必要で、それはそれで重要な歴史研究だけれど、日本はそればっかり。だけれど、ヨーロッパだったら別の歴史研究もあって、それは歴史哲学とか歴史経済というものです。古文書は全部ちゃんと読めなくても、歴史学のような史料批判はできなくとも、歴史のあり方とか、経済のあり方とか、そういうことをちゃんと論じることができる。そういう歴史学がヨーロッパやアメリカでは許されるのだけれど、日本では史料批判だけが歴史学になってしまう。歴史学が、自ら自分の範囲を狭めてしまっているんやな。どちらかというと、歴史哲学ですね。歴史を応用して、社会を変えてやろう。

今4年生で、神戸の異人館の街並みの研究をしている人がいるんです。建築学は建物の研究だけするんですね。歴史学は、外国人がどうやって日本にやってきたかということだけ研究するんです。そうではなくて、異人館と異人館の間の路地を使って人々がどんな生活をしていたか、そういうことに僕は関心があるし、そういう卒論を書いてほしいなと思うんです。せっかく神戸学院大学に来たんだから、そんな研究をしてほしいなあと思いますね。そういう研究室です。

他に、4年生でやっている面白い研究に、阪神間の制服の研究があります。セーラー服がいつどんな形で導入されたのか。昭和初期の高等女学校の制服の導入というものを研究してもらっています。阪神間は結構盛んなんです。これは、洋服がどう入ってきたかという問題なんだけれど、セーラー服の研究を女性の学生にやってもらっています。森女学校も導入が早かったです。こういうのも面白いですね。現代では、中国でもかわいい服が流行っているし、男でも女でも関係なしにズボンもスカートも選択できる時代になりましたし、そういう服装の変化の研究も面白いと思います。歴史学ではこんなことはやりません。

―新入生に対するメッセージは何かありますか?
せっかく大学に来たんだから、やりたいことは何でもやろう。教員は使い倒せ。

―先生がこの分野に入ったきっかけが面白かったです。
そうなんやね。意外と単純なんやね。出たとこ勝負。そんなんでええねん。だから、新入生も何でもぶつかっていったら良いと思う。出たとこ勝負でええんやないか、と思うな。

取材・文/能勢悠人
写真/山口美祐

森栗先生の著書:『河原町の歴史と都市民俗学』(上)、『性と子育ての民俗学』(右)

森栗 茂一

神戸市長田区生まれ。
大阪教育大学卒業後、高校教師を経て
1990年大阪外国語大学助教授、教授、2007年大阪大学コミュニケーションデザインセンター教授。
2004年「河原町の歴史と都市民俗学」で國學院大學文学博士。
1992-95年国立歴史民俗博物館客員助教授。
2002年阪急彩都まちづくり大賞銀賞受賞、2003年今和次郎賞(日本生活学会大賞)受賞。
2020年より神戸学院大学人文学部教授。