2012年3月号

自分で考え動けば、世界は拓ける

アートに東奔西走した学生時代の経験が、今に生きる。
(文 後藤 沙織・写真 沖野 鈴)

 

白を基調にした真新しいモダンな建物。外見からしても普通の学習塾とはちょっと違う。
「学習塾というと、いわゆる『受験競争に勝つ』というイメージがあると思います。でも、私たちはただ勉強ができるだけじゃなくて、挨拶がきちんとできて、人の話をしっかり聞くことができるといった『人間力』を育てることが理念です」
さくらエリートアカデミーは、未就学児から小学生・中学生を対象とした塾。去年の7月に開校したできたてほやほやの学習塾なのだ。建物が学習塾らしくないのは、スポーツ施設があるからなんだろう。
「基礎体力や生活態度、礼儀を自然に習得するために、体育の授業を取り入れているのも特徴です。成長を実感しやすいスポーツ、卓球を採用しています」
生徒数は現在約40名。大黒さんのほかに4名の講師が指導にあたっている。この塾ではしっかり勉強して学力をつけること、社会に出たときに役立つコミュニケーション力、自立した心も培うことを目標としている。
「次世代のリーダーを育てたいですね。といってもね、会社の社長やお店の店長のことだけではないんです。例えば、家庭では主婦が家事のリーダー。特別なことではなく、人が集まれば必ずそこにはみんなをひっぱっていく役割が必要でしょ。そういうリーダーとして活躍できる力を育みたい。それは、『自分で考えて自分で行動する』『向上心』ともいえますね。そのためには、ただ机の上で勉強しているだけでもいかんし、ただ言われた通りにするだけでもいかん。さくらエリートアカデミーの『エリート』には、そういう意味が込められているんです」と自身満々に語る大黒さん。彼女は一体どういう学生時代を送ってきたのだろう?

 

アートにどっぷりな学生時代

「まず私、愛媛の南宇和というところの出身なんです。松山に出てくるのも2時間半かかるんですよ。そんなところだったので、とにかく外に出たい、いろいろな世界を見てみたいという気持ちが強かったですね、ちっちゃいころから」
神戸学院大学の人文学部へ進み、芸術文化論領域で学ぶ。
「入学してすぐ、自分のやりたいことがすんなり目に入ったという感じですね。田舎から出てきた私にとって、芸術文化諭で教えてくださる先生方の講義はとても刺激的でした。新しい世界と出会えた」
子どものころから絵を描くことが好きだった大黒さんだが、作品を制作する以外でもアートにかかわることができるのではないかと模索する。そしてそのヒントは大学の講義のなか、いたるところに隠れていた。
休日には、大阪や京都の美術館やギャラリーを見て回り、「お手伝いできることがあれば、勉強させてください」と申し入れ、いろいろなところでアートボランティアを経験した。
「アートって都会だからこそ成立するところがある。ギャラリーなどに集まってくる学生も、ジャズを演奏してるとか、写真が趣昧とかね。そして、雑誌やテレビで紹介されていた有名なお店にもすぐに行ける。地方出身の私としては、カルチャーショックでしたね。常にアンテナを張って、楽しいことを探し吸収しようとしていました」
興味がわけば、積極的にかかわり探究していく。そのスタンスが彼女の視野を広げ、多くの出会いをもたらしたのだ。

 

対話型鑑賞との出会い

答えを導き出すプロセスを大事にすることで、生徒が自分から考える力がつく

そのひとつが「対話型鑑賞」だ。
「例えば、『この絵はゴッホの作品です』と聞くと、誰でも『わっ、スゴい!』となる。でも、純粋にその絵を見てそう思ったのかというと、そうではない場合が多いんです。「ゴッホの描いた作品はすごい」という既成概念がある。つまり人がそう言ってるから、そうなんだろうと決めつけて通り過ぎているだけで、それは自分で感じたことではない。そういう先入観を取っ払って、目の前にある作品をじっくり見て感じてみよう!それを言葉にしよう!と」
「知識がなければ作品鑑賞はできない」的な既成概念を捨てて、他の鑑賞者とコミュニケーションをとりながら考えを深めていく。そんな鑑賞法に惹かれた大黒さんは、美術館ボランティアで対話型鑑賞のナビゲーターをするようになった。 「鑑賞者が、作品に何を見ているかを私たちは引き出すだけ。私たちが一方的に、『この絵は何年に何を描いたものです』というふうに説明したりしない。引き出すんです、みなさんから。ここに椅子の絵があります。『どんな椅子ですか、どんな人が座ってますか、じゃあなぜそう思ったんですか、この絵のどこを見て?』とね」
このようなナビゲーターとしての心構えは、現在学習塾で指導する立場でも役立っているそうだ。
「ものごとをよく観察し、他者とのやりとりで自分の見解をさらに深めていくことは、学びの基本であると思います」  学生時代に自分から行動し学びとった生の体験こそが、社会に出たときに礎となって支えになるということなのだろう。
卒論では何を論じたのだろう。タイトルは、「ドローイング」だ。ドローイングとは、「落書き」のこと。カンバスの上ではなく、封筒やレシートの裏などどんな場所にも描く。「売れるかどうか」を意識して描くペインティングよりも、作家のありのままの姿やタッチが生々しく表れる。そんなドローイングを通して、作家と鑑賞者は友達同士のように向かい合うことができるのではないだろうか…という内容だ。
「ある作家をテーマに卒論を書こうとすると、既存の美術史を読んで自分なりにまとめ直すようなスタイルになりがちです。でも私は、自分が経験し感じたことから新しい美術の見方を提案したかったんです。テーマが難しく、不完全燃焼で終わってしまった部分もありますが」
大学卒業後、当時大阪の万博公園にあった彩都IMI大学院スクールに進学。展覧会の企画運営であるアートマネジメントを1年間学んだ。そのなかで印象に残っているのが、インターンスタッフとして企画運営に参加した若手アーティストのグループ展覧会、神戸アートビレッジセンター主催の『神戸アートアニュアル2005 眺めるに触れる』だ。
「関連イベントの企画からプレス用の資料作成、ブログ作成など、現場の仕事を勉強しました。ひとつの展覧会を成功させるためにはどうすればいいかを具体的に考えて、予算を出し、物品手配の計画などを立てました。イベントを開催する裏では、たくさんの準備が必要で、いろいろな役割の人が大勢動いていることを実感しました」
参加しているのは同世代の芸術大学の学生が中心。みんなの意見をすり合わせるのはすごくたいへんだったそうだ。学生時代はアート三昧だった大黒さん。そんな彼女を周りはどのように見ていたのだろう。そこで私たちは、当時の彼女をよく知る多和由樹さんにお話を伺った。
「入学から卒業するまで、ずっと一緒にいました。サークルでは彼女は副部長、私は会計。みっちゃん(大黒さん)はしっかりしていたんですけど、優等生ではなくて、時には中庭でさぼって友達としゃべってる、そんな普通の子。でも、頭の回転は速いし、文章力もあったから記述式の試験が得意でした。あのころ、みっちゃんは好きなことならいくらでもがんばることができたけど、そうじゃなかったら全然だめでした。それこそ作り笑いとかもできないくらい」
アートづくめの日々はあっという間に過ぎ去り、就職活動の時期になる。

 

いろいろな世界を見てみたい

「アートが好きだからといって、ただその世界だけに的をしぼってしまうと自分の可能性も小さくしてしまう。それに、就職の先にある結婚や出産、今後の生活を考えたときに、地元の愛媛にいることのほうがいいんじゃないかなと思ったんです。私が好きなアートは都会にこそ多くあるので、ギリギリまで悩みましたけどね」
いろいろ考えた末、地元で就職活動することを決意する。
「就職活動では普段見ることができない会社の舞台裏が覗けるという気持ちがあったから、つらいとは思いませんでした。初任給が気にならないといえばウソになりますが、まずは自分の能力が伸ばせるところに身を置きたいと。採用してもらえるのなら、どこでもがんばれる気持ちもありました」

 

教育の世界へ

そうして飛び込んだのが、愛媛県の学習塾だった。当時、大手企業にも事務職として内定をもらっていたそうだが、「自分がより成長できる会社で働きたい」「自分で歴史を築きあげていきたい」という強い意志で、さくらエリートアカデミーの姉妹校である東温ゼミナールへの就職を決めた。彼女が就職したときは、東温ゼミナールが開校してまだ1年。創立スタッフのひとりが退職するので、後任として採用された。まだ実績も少なく、小規模な学習塾。常勤講師は大黒さんひとりだったので、授業や生徒管理はもちろんのこと、事務や経理もこなす。
生まれて間もない職場で、自分で考え計画して、とにかく実行していくしかない環境がよかったです。毎日試行錯誤でたいへんでしたが、そういう時代があったからこそ、今の私があると思います。学生時代、アートマネジメントにかかわってきましたけど、新しい価値との出会いを演出したり、学びの場を提供したりすることがやりたかったんでしょうね。そのためなら、雑用からおカネのことまでなんでもする。それが私にとってはとても楽しいです」
子どもたちと接することが楽しかった美術館でのワークショップなど、学生時代の経験もあり、生徒を指導することに不安はなかったという。
「あるものごとを『人にいかに魅力的にわかりやすく伝えるか』を考えて、指導方法もいろいろ工夫しました」
両塾の塾長である細井聡さんは語る。
「面接をしたとき、やる気がひしひしと伝わってきました。ものごとをしっかり考えられるし、固定観念にとらわれずに柔軟な考えもできる。さらに精神力の強さや処理能力は年齢を感じさせないものがある。また、保護者の方からの信頼も厚いし、教え方もうまい。塾を運営していくうえで、彼女の存在はとても大きい」
熱心に教えてくれて、先生との距離が近く、一人ひとりに合った学習スタイルを創り出してくれる―――大黒さんの指導法は、だんだんと東温ゼミナールの特徴となっていった。7年間実績を積み重ね、地域の認知度も上がった。
そして昨年、さくらエリートアカデミーが設立された。
「東温ゼミナールでいろいろな生徒を指導していくなかで、ただ教科書に出ている勉強ができるだけではいけないという気持ちが強くなりました。人として、社会人として生きていく力が必要なんです。話しを聞く姿勢だったり、自分から進んで取り組む姿勢だったり、失敗してもまた挑戦する粘り強さだったり。本当の「学び」がはじまるのは、むしろ学校を卒業して大人になってからだと思いますね。その基礎を育てる教育施設として、さくらエリートアカデミーを確立していきたいんです」
現在大黒さんは、東温ゼミナールとさくらエリートアカデミーの両校で、スーパーバイザーとして、講師として活躍している。多忙な生活を送る大黒さんだが、今でも対話型鑑賞のナビゲーターをしている。これも、社会人になってから愛媛県美術館に問い合わせ、ボランティアスタッフとして参加させてほしいと申し出たそうだ。

 

さくらエリートアカデミー
〒791-1116 愛媛県松山市南土居町537-1
tel:089-904-7677

「適職なんて3年くらいやってみないとわからない」と大黒さんは言った。社会も仕事のおもしろさも知らないのに、自分にはなにが向いてるんだろうと考えても時間のムダ。まずは目の前にあることを懸命にする。そこからしか道は拓けない。前向きにこれからの就職活動に臨みたいと思う。