Vol.2 (2004年1月)
植田 俊郎

歴史のダイナミズム パリ大改造

今回のINCUBATORは、フランス革命を中心にヨーロッパの歴史・文化を研究する植田俊郎先生。ゼミのテーマは「19世紀パリ窶披€買pリ大改造を中心にして」だ。ガス灯、駅、デパートがつくられ、第2回万国博覧会が開かれた当時の世界都市を通して、わたしたちは何を学ぶべきなのか?
TEXT 沼尻貴史

 

 

19世紀のパリを学ぶおもしろさは?

世の中ひっくり返るのが見られます(笑)。少しまじめに言うと、私のメインテーマであるフランス革命では、絶対動かないと思われていた構造が一瞬で変わった。同様に、私たち日本人がヨーロッパに抱く固定的なイメージは、19世紀のパリを学ぶことで壊される。それは、近代ヨーロッパの姿が完成したのが、すべてそれ以降のことだから。
特にパリは、永遠の都と呼ばれて、昔からずっときれいな町だったと思われがちだが、オスマン男爵によるパリ大改造(※1)の前後では広さも違うし、昔の街並なんてごちゃごちゃして、美しくもなんともなかった。エッフェル塔も凱旋門も、オペラ座もないパリが想像できる?このパリ大改造には、政治・経済・文化とさまざまな要素がからまってくる。目を見張るようなスペクタクルをダイナミックに実現していく、歴史の底力をぜひ知ってもらいたいと思います。

 

パリ大改造はどんなものですか?

1852年に始まるナポレオン3世の第二帝政のときに、セーヌ県知事オスマン男爵が「パリをヨーロッパのモデル都市に」と目論んで推進した近代都市計画。その背景には、1851年にロンドンで開かれた世界初の万国博覧会(※2)があった。イギリスは18世紀に産業革命を成功させ、ロンドンは当時世界最先端の都市だったからね。これを目の当たりにしたナポレオン3世は、なおも産業革命が進行中のパリの姿と比べ、ロンドンの素晴らしさを実感せざるをえなかった。
パリ改造熱がフランスを動かすのはその直後。国内では産業革命による小金持ち(=プチブル)階級が潤っていたから、政府はそれらの民間資金をどんどん吸い上げて、パリ大改造に投資した。「ロンドン子の鼻を明かせ!」って感じかな。似たようなことはバブル期の日本でも見られたよね。フランスでは、パリ大改造前後に築かれた近代の価値観が近年崩れ、ユーロという共同体の誕生に発展していく。バブル以降の日本の将来を考えるときにも、この時代ははずせないと思うね。
新しく化粧直しされた大パリでは、1855年に待望の万国博が開かれる。しかも1回ではなく、19世紀中に5回(※3)も! パリジャンたちの悔しさとうれしさは相当だったんだね。で、パリは『博覧会都市』と呼ばれ、あのエッフェル塔もできたりする。

 

パリ大改造の前後では何が変わったのでしょう。

パリ・モードの登場、フランス料理の完成、芸術と文化の都となったことなど、すべてパリ大改造と深く結びついている。日本の「藩」を考えるとわかりやすいんだけど、当時はフランスもドイツも似たような「藩」の集まった国だったんだ。その中で少し大きめの「藩」=地方都市だったパリが、大改造によって作り直され、一国の首都にふさわしい都となった。首都にすべてが集まるようになったのも、これ以降なんだ。
そこには人や情報が集まり、新しい文化が生まれる。若い芸術家たち(※4)が活躍したのも、それまでにない「街」のパワーに魅かれた点で、現在の比ではないだろう。料理もそう。それ以前はブルゴーニュ料理やリヨン料理はあっても、フランス料理という概念はなかった。単に郷土料理の一つだったパリ料理が、大改造以降、フランス料理の名を冠されたんだ。そしてしゃれた街並を着飾ったパリジェンヌが闊歩するようになり、19世紀後半からは、パリ・モードが全世界で憧れの存在になっていく。このようにパリ大改造は、芸術と文化の都としての転換期でもあったわけです。

 

ゼミはどのように進められますか?

歴史探検は、それに必要な道具=文献探しから始まります。まず最初はミシュランのグリーンガイドのような簡単なものでパリの概要を知ればいい。簡単なものをみんなで読み、共通する部分を学ぶことから始めて、自分の興味分野が見つかったら、その分野の本を読み続けてみる。1年もすれば、自分のテーマはおのずから発見されるという仕掛け。
ただ、日本語で書かれた文献で外国を読み解いていくには当然限界がある。今ブームのカフェなんかも、パリ大改造と深い関係があるけれど、日本語の参考資料は少ないからね。自分でフランス語の文献も漁りたい、という意欲が出れば、協力は惜しみません。
最初は難しいと思うかもしれないけれど、普段の生活でも好きな人や興味のある分野のことなら、情報を集めたり、話したり、考えたりするのは苦にならないでしょう?勉強だから、成績に関係するからと思わず、「楽しめることを見つけよう」と考えてほしい。さいわい19世紀のパリは楽しみの宝庫で、新しい文化や事物が次々と生まれている。知りたいことは尽きないと思いますよ。

 

ゼミで学んだことは、人生に役立ちますか?

具体的に何がどう役立つとは言えないが、二つのことは言える。
一つは「楽しみを見つける」能力を磨くという側面。世の中に出ても、楽しいことばかりは待っていない。就職し立ての新人の頃はなおさらだ。でも、直接知っている人が誰もいない、日本のことですらない西洋史の中に楽しみを見つけられるなら、目の前の仕事にも楽しみを見つけられるはず。そんな体験をしてもらいたい。
もう一つは「自分で答えを出す」こと。ゼミでは、解答を求められても、私は教えません。方向を間違えないように、自分なりの答えを見いだせるようにサポートはしますけれどね。解答は一つではなく、見方によりいろいろな答えがある。一つの答えにたどり着くためにも、いろいろな方法がある。それらを身をもって知ることは、きっとこれからの人生にプラスになると信じています。

【※1】▼オスマン男爵のパリ大改造
1853年から69年にかけて実施された大規模都市計画。この間にパリは20区に拡大。1868年には鉄筋コンクリートが発明されている。

【※2】▼第1回万国博覧会
ロンドンのハイドパークで25ヵ国の参加で開催された「第1回ロンドン万国博覧会」。通称「大博覧会(The Great Exhibition)」。クリスタルパレス(水晶宮)と名付けられたガラスドームが大変な人気を集めた。

【※3】▼19世紀のパリ万博
1855年に開催されたパリ万博はその後69、78、89、1900年と計5回開催された。現在のパリで有名な19世紀の建物はほとんどがこの万博の施設。エッフェル塔は89年の万博の記念塔。

【※4】▼若い芸術家たち
作家ではゾラ、モーパッサンが代表格で、それぞれ『居酒屋』『脂肪の塊』でパリ市民の姿を描いている。美しい街並をアール・ヌーヴォー様式の装飾が彩り、ミレー・マネ・モネ・セザンヌなどの印象派画家が台頭する。

 

 

助教授 植田俊郎

人文学部人間文化学科 歴史情報論領域
助教授 植田俊郎
生まれも育ちも神戸です。神戸のことなら何でも知っているつもりでしたが、最近では、分からないことが多く、神戸生まれ育ち、と自信をもって言えなくなってしまいました。
どうも行動範囲が狭すぎるきらいがあります。クラッシック音楽鑑賞が趣味ですが、かつてはコンサートによく通っていましたが、最近ではもっぱら、CD鑑賞という体たらくです。また、熱し易く冷め易いという性格も、この状態の一因かもしれません。この性格のためか、はたまた研究のためか、大学、大学院を3つも渡り歩きました。一貫しているのは研究対象がフランス近代史ということですが、これもまた、メイン・テーマがパリ・コミューン、フランス革命、絶対王政へと変わってきています。自分なりに、この変化は理屈がつけられるのですが、授業などで受講生諸君が多大の迷惑を被っているのではないか、と恐れ、反省の日々を送っているのが現状です。でも、性格は、なかなか修正がききませんからね、御注意を。