Vol.33(2017年10月)
金 益見

マイノリティーに 寄り添う

金益見先生といえば、大学院生のときに、文藝春秋から新書『ラブホテル進化論』を出して注目を集め、その他、著作も多数。
夜間中学をテーマに研究を進め、最近は沖縄にも関心を広げています。
講義は歯切れよく、学生の人気も抜群。
その金先生に、なぜラブホ研究だったのか、夜間中学研究だったのか。
そのあたりの話をじっくり伺いました。

 

情報誌のラブホ特集に違和感

論のテーマが決まらずに焦っていたので、アンテナを張りながら街を歩き、電車に乗っていました。そして、その時に引っかかったのが電車の中吊り広告のラブホテル特集でした。週刊誌だったら理解できたんですが、『KANSAI1週間』という情報誌が、ラブホテル特集をやっていたので、すごく違和感を感じたのが、ラブホテル研究のきっかけですね。

いろいろ情報を集めると、同じ建物で同じサービスを提供していても、使う人によってニーズや利用方法が変わることを知り、同時にこれは文化史なんじゃないかと。文化は仕掛けられたものばかりではなく、人の営みの中で生まれ、欲望のうねりと共に育つ特性をもっています。そういう意味では「ラブホテルも文化じゃないの?」と思ったんです。当時のゼミの先生だった水本浩典教授に話すと、『愛の空間』(井上章一著)という本を紹介してくださいました。それを読んで、こういうことを研究してもいいんだと。それで、著者の井上章一先生に会いに行ったんです。そこでとても親切に対応していただき、資料もお貸りできました。そこからさらに資料を集めて分析し、結局ラブホテルには一軒も行かずに、卒論を書きました。

 

フィールドワークが始まった

学院に進んで、井上先生に論文とお礼状を添えて送ったら、「読みました、つまらなかった。君、資料をまとめただけですね」とすごいクールなコメントを頂いて、天狗になりかかっていた鼻が折れました…。  ラブホテルへフィールドワークに行かなかったのは、実は怖かったんです。セクシャルなイメージというよりテレビドラマの影響で、犯罪や売春といったダークなイメージを抱いていたので…。でも「大学院で研究を続けていくには、行くしかないか…」って、大阪の日本橋にあるラブホテルにひとりで行きました。それで待合室で待っていると、電話が鳴って、「お一人ですか、待ち合わせですか」って聞かれたんです。「一人です。待ち合わせじゃないです」って言うと、フロントに呼ばれて「うちは、女性の一人利用禁止なんです」って帰されました。  翌週の授業で経過報告しなければならなかったので、渋々何の収穫もなかったことを話すと、思わぬことに水本先生に褒められたんです。

 

「現場に行って、答えを掴めなかったといって落ち込む必要はない。今回君が掴んできたのは『問い』だ。フィールドに出たからこそ次に研究すべき『問い』が見つかった。現場じゃないと掴めないことを君は掴んできた」  そこから本当の研究者の道が始まった気がします。フィールドワークが私の研究手法になりました。関係者に話を聞いたり、逆に建築反対運動をしている人達や利用者にも話を聞きました。  私が学生時代に『ラブホテル進化論』を出せた理由は、一世代目の経営者に会って話が聞けたから。戦後の焼け野原で経営していた簡易旅館が連れ込み旅館に変わり、ラブホテルにつながっていく。その世代の経営者が一生懸命頑張って、時代のニーズを汲み取ってひとつの文化までに発展させた。そういう人たちがどんどん亡くなる中で、今記録として残しておかないと、という気持ちもありました。

 

えんぴつポスターの言葉に感動

夜間中学研究は、中学校の生徒会長をしていた時に、近所の区民センターにあった識字学校のボランティアに行っていたのがきっかけですね。その当時は、夜間中学の設立運動が起こっていた時で、識字教室を夜間中学でやろうという動きがあった。最初に行った時から衝撃をうけました。私の祖父母の世代の人たちが一生懸命、文字の勉強をしている。彼らは普通に日本語を話せるけど文字の読み書きができなかったんです。そのほとんどが在日コリアン一世の女性でした。

のちに運動が成功してうちの近所に夜間中学が設立されたのですが、私は校門横に貼ってあった『えんぴつポスター』を読むのを楽しみにしてたんです。高齢になって初めて文字を習得した人たちが、肉筆で書くポスター…その懸命さに心を打たれました。それで、そのポスターを本にできたらなって思ったんです。

企画書をもって出版社巡りをしましたが、最初はぜんぜん駄目でした。そんななか、「本にはできないけど、少し長めのルポなら…」という話になり、『kotoba』という雑誌に寄稿しました。その記事をまたいろんな所に送ったり、知り合いの編集者に見せていたら、ある時文藝春秋から声をかけていただいて、5年越しで『やる気とか元気がでる えんぴつポスター』を出すことができました。  今は沖縄の夜間中学校の研究に入っています。沖縄の中学校も大阪の戦後と同じ状況で、当時の女の子たちが学校に通えなかったんです。沖縄戦で被害を受けた方、戦災孤児の方、家の手伝いで学校どころじゃなかった方、そんな方々が今、夜間中学に通っている。  さらに最近は、外国籍の方、不登校の子供たち、貧しくて学校にいけない子供たち、ニューカマーの人たちも増えています。

 

教室の中が、日本が抱えてる問題の縮図みたいな状況になっている。オリンピックもいいけれど、夜間中学に通う人たちが抱えていることが、今取り組まなければいけない身近な問題なんだと。いじめ、貧困、引きこもり、家族と地域のつながりの薄さ、ニューカマーやシングルマザーの労働環境…そういった問題を少しずつでも解決していくことができたら、この世はちょっとでもマシになるんじゃないかって。

 

情報に溺れず、 自分の頭で考えよう

学生が在学中にやっておくべきことは、自分の頭で考えること。それには情報を収集できる力をつけないといけません。今は、情報が溢れすぎていて、自分の興味あることには詳しいけれど、本当の意味でちゃんと知っておいたほうがいいことに関しては、声の大きい人や、分かりやすく言った人の言葉をうのみにしている感じがあって、すごく危ういなあと感じます。  特に政治の動きなど、常にチェックしながら、自分の頭で考えなければいけないことを、youtubeや興味あるものを見る時間に奪われてしまっている。考えたり調べたりするのは、ある程度の知の貯蓄と、情報の取捨選別する力を身につける必要がある。ウィキペディアではなく、ちゃんとしたデータベースを使うことからはじめて、情報を見極め、使えるようになるのは一朝一夕ではできません。

「調べる・見つける・考える・まとめる」という力は、卒業研究に本気で取り組めば身につく力です。大学ではそういう能力を身につけてほしいなと思います。

 

取材後の感想

一番印象に残っているのは、紙面のスペース上、載せることができませんでしたが、「もちろん紅白にもでますよ」という先生の言葉です。先生がCDを出していること、YouTubeに動画をあげていることは知っていましたが、まさか紅白を目指しているとは思わなかったので、とても驚きました。  そして先生の話の内容が濃くて、インタビューを編集するのに、とても苦労しました。書き起こし後に文字数を見ると余裕で1万字を超えていて、どうしようかと思いました。どこも切り取るのが惜しいほど興味深い話だからです。今回のインタビューを終えて、書店で売っている雑誌を見るたびに、「このインタビュアーさんも苦労して書いているんやろうな」と視点が少し変わりました。

取材・文・写真/新谷正子

 

 

 

金 益見

講師 人文学科 文化コース 歴史文化領域

 

1979年大阪府生まれ。在日コリアン3世。神戸学院大学人間文化学研究科で博士号を取得。著書に『ラブホテル進化論』(文藝春秋、2008年)『性愛空間の分化史』(ミネルヴァ書房、2012年)、『贈りもの』(講談社、2012年)、『やる気とか元気がでるえんぴつポスター』(文藝春秋、2013年)、ほか