Vol.4(2004年9月)
中山 文

中国、ジェンダー、演劇。私だけにできること。

中山先生が授業で話すひとつひとつの言葉は、飾らない直球勝負。学問という枠を飛び越えて、私たちの胸に直接響いてくる。毎回のように定員オーバーと噂のゼミ。その秘密はいったい…。「私が教えられることなんて、微々たるものだから」笑顔でそう話す文先生の、新たな魅力と秘密に迫ります!
TEXT 池内晴美

 

 

中国についての研究を始めたきっかけは?

一番大きかったのは父の言葉。父は語学の先生になりたかった人でね、家にも英・独・仏・露の洋書がたくさんあって、外国語に対する興味は子供の頃からあったから外大を受験するのは自然でした。その父が言ったんです。「これから習うなら中国語だ。あんなに広い国、まだ誰も読んでいない面白い小説が、絶対あるぞ!」って。それで、決まり(笑)。漢文も好きだったし、当時の中国は近くて遠い国だったから、エキゾチックな憧れもありました。他の人がやらないことをやりたいという、私の性格にも合ってたのかな。
外大に入って中国語を始めて、語学の勉強は楽しかったんだけど、そこで勉強した中国文学がどうもピンとこなかったんです。予想に反してちっとも、面白くなかった(笑)。当時は文化大革命の直後で、毎月出版される「人民文学」に掲載される小説は共産党のプロパガンダ的な作品ばかり。今、読み返すとおもしろい発見もあるんだけど、当時は千篇一律でつまらんな、と。
そこで出会ったのが、王蒙という作家。彼が描いたのは、自らの文革体験を元にした人間疎外の感情。純粋な共産党員なんだけど反右派闘争で下放(かほう)されて、20年間筆を持つことを許されなかった作家です。時制の一致を無視した意識の流れを描いて、当時は「わけがわからない」と酷評を受けていた。でもその現代人の心情というのが私の心にぴったりはまったんですね。「作家が私に手を振っている!」と初めて思った。恋愛と一緒よね、研究対象との出会いって。背伸びしなくても、今の私のままで読めばいいんだって思える作品との出会いは、自分と中国を強く結びつける一つのきっかけになりましたね。

 

仕事についてどのように考えられていましたか?

4年生で進路を考える時期になると、すごく悩みました。親の希望もあって、職業を持って自立する将来像は常に思い描いてました。ところが先輩を見ると、男性は商社などで中国語を使ってばりばり仕事をしていたけれど、女性はどんなに成績がよい人でも卒業とともに中国語と縁が切れてしまう。4年間外大にいて出会った女性教員はたった一人。体育の先生でした。だから研究者になるということは頭の中からすっぽり抜けていた。中国語と関わってどんな仕事が自分にできるのか。さっぱり思いうかばなかった。でも王蒙との出会いのおかげで、とりあえず大学院でもうちょっと勉強するか、と思ったんです。
大学院に2年行って、卒業後いろんな大学で中国語の非常勤講師を6年間やりました。その間に結婚して子供が産まれて、したかったはずの勉強も、家事と育児と仕事の合間を縫ってしか出来なくて。とにかく忙しかった。自宅生だったので、それまでお米もといだことがなかった。何をするのも手際が悪いのよ。家事って、ほんと日々のトレーニングの賜物。子育てはそれなりに楽しかったけれど、それが生活の中心を占めていた非常勤時代はずっと舞台裏にいるような気がしていました。いつかちゃんと舞台に立ちたいって。で、神戸学院に就職して念願の舞台に立てたわけですが、思い描いてた理想の自分からはほど遠い日々。専任の仕事って、非常勤と全く質が違う。会議、雑用、学生指導、講義、研究…と見えない時間がたくさんとられる。仕事を精一杯やりたいだけなんだけど、そうするとこれまで作ってきた家庭とのバランスが崩れる。どちらも中途半端の自転車操業でした。でも人間って、いくら自由な人でもそれなりにいろんなことに拘束されてるもんだと思う。だから諦めてしまうか、その中でもできることを探してぼつぼつ続けるのかよね。
それに、この経験が私にもたらしてくれたものもあって。それが、女性である自分の視点。私、結婚しなかったら、自分が女性だと意識することもなかったと思う。職場は居心地いいし(笑)。当時、王安憶という女性作家の作品に支えられました。中国でも「女性意識」とか「女性主義」という言葉が出始めた頃で。王安憶の言うことがひとつひとつ腑に落ちた。彼女は私のために作品を書いている、と思ったほど(笑)。私が最初に中国文学に触れた時に感じた違和感も、そこだったんだなと今となっては思います。結局自分のことじゃないから、いくら勉強しても知識でしかなかったんです。自分の言葉にはならなかった。
ジェンダーという物差しを手に入れたおかげで、私でも中国文学にものが言える。そう思えるようになったことは、自身の経験としても、研究者としても、とても大きかったと思います。

 

ゼミはどのように進められますか?

待ち時間に文庫本を開く子の集まりにしたいと思ってるんです。それが直接何かの役に立つとは言わないけれども、読書の喜びを知らないって、人生すごく損してると思う。私が教えることのできるものを考えた時に、本を読んで一人で過ごす楽しさを伝えなかったら、だめだろうなと思って。
私が勉強してきたことなんてほんの僅かだから。みんなの力を借りて、それぞれの長所を伸ばせる場所が提供できれば、一番理想的かなと思っています。

 

先生にとっての目標はありますか?

中国文学の世界で、自分にしかできないこと、自分だからできることを探そうとしてきたのだけれど、それが何となく見えてきたかな。99年に中国へ留学して演劇と出会い、初めてこれまで中国語を続けて来たことを感謝しました。芝居ざんまいの毎日がめちゃくちゃ楽しかった。その時、結婚以来17年ぶりに私は一人になったの。子供もいない、亭主もいない。ショーウィンドウに映る自分の姿を見て、私ってこんなにいつも笑ってたのかとびっくりした。で、これがあれば老後一人になっても大丈夫だ、と(笑)。新しい作家や演出家との出会いがあり、芝居を通して見えてきたこともたくさんあった。そのご縁で去年、中国で劇評の本を出すことができたし、翻訳した芝居が東京で上演されたし。まだまだ自分にできることがありそうで、わくわくする。この気分のままずっと中国演劇と関わっていければいいなと思います。
中国、ジェンダー、演劇、いろいろやってきたけど、自分の中で矛盾はないんですよ。これまでの経験が全て今の研究に繋がっていると思う。ほんと、人生の経験って、一つも無駄にならないよ。年取るのも悪くないって、最近実感してるところです。もし過去に戻れるんやったら?・・・三日くらい前に戻して欲しいかな。原稿の〆切が三日延びたらありがたい。それだけ(笑)。

 

中山 文(人間文化学科教授)

人文学部人間文化学科 表現言語論領域
中山 文(人間文化学科教授)
1958年生まれ 大阪外国語大学中国語学科卒、同大学大学院修了。

同大学にて中国語非常勤講師を経て、1989年神戸学院大学着任。1999年には中国へ留学し、演劇と出会う。自分にしかできないこと、自分だからこそできることを模索中。