Vol.16(2009年3月)
前田 志壽代
臨床はドラマ
成長という名の壁に突き当たる子どもたち。彼らとの出会いから別れまで、一緒に乗り越えてきた37年間でした。
TEXT 豊田康嗣/PHOTO 高橋侑司/EDIT 平尾典子
きっかけは映画から
私は3人兄弟の長女なのですが、子どものころ大人たちはなぜか私が長女だということを見破りました。その時、なぜ見破られたのかを聞くと、「性格」で判断されていたことが分かりました。そのことから、人の性格はどのように作られているのかということにとても関心を持ち、大学では心理学を選んだわけです。
なぜ子どもを対象にするようになったのかというと、私の両親は洋画好きで、連れられてよく映画を観に行きました。それで『禁じられた遊び』という映画を観たのです。それは、戦時中の幼い男の子と女の子の物語で、ある出来事についてまわりの大人たちが子どもの心を知らずに、大人の都合でとてもひどいことをしたり言ったりしている場面がありました。それが、子ども心にとても印象に残っていて、こんな大人になってはいけないと思いました。子どもというのは自分だけでは生きてはいけないから、大人が子どものことを理解して手助けしながら育てなければいけない。そんなことから、心理学を通じて世の中で人の役に立ちたいと考えた時、子どもの手助けをしたいと思ったのです。
現場での経験
医療現場に就職できたのは、指導教授に紹介してもらったから。先生の知り合いの公立総合病院に1年間研修に行きました。その後たまたま職員に欠員が出たので試験を受けて、児童精神科のスタッフとして採用していただきました。
大学では、実験心理学を中心に勉強していましたから、就職したてのころは、いわゆる臨床心理学関係のことはほとんど知らなくて、戸惑いがありました。精神科医や先輩の心理職の方に付いて、子どもの精神科の仕事を教えてもらいました。
心理職の仕事はおおまかに言うと、ふたつの柱があります。ひとつは心理検査をして状態を把握すること、もうひとつは心理療法を行うこと。
心理検査については、検査法は今でこそ数多くありますが、当時はそれほどではなく、また研修会などもなかなかありませんでした。まだ臨床心理学というものが確立されていない状態でした。だから、まさに手探り。自分でマニュアルを読み、詳しい方を訪ねて教えてもらい、それを現場で実践していました。
対象が子どもですから、アプローチとしていちばん多いのは遊戯療法(プレイセラピー)です。その他にも箱庭療法、描画療法、音楽療法など芸術療法もよく用いました。それから、子どもはひとりで来院しません。子どもの問題は親御さんと深く関っていますから、親御さんにはカウンセリングを通じてアプローチしていきます。
新米の私は、心理検査や心理療法を習得するのに必死でした。本を読んで知識を仕入れるだけではなく、やはり経験を積み重ねていくことが重要です。その時に大学で学んだ科学的な心理学の基礎知識はとても役立ちました。
子どもの問題
子どもの精神疾患は、統合失調症、うつ病などをはじめとして実にさまざまです。ノイローゼのほうがわかりやすいかもしれませんが、神経症もかなりあり、そういう深刻な問題を抱えた子どももいました。また、今話題の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害、軽度の知的障害……。不登校の相談も当時増え始めていました。心の問題が身体に表現される子どもがいます。学校に行きたくなくてお腹が痛くなったりするのはよく知られていますね。時には、視力や聴力に障害が出たりすることもあります。そういった事例は以前からありましたが、現代では社会状況と関わってより複雑になってきていると思います。
子どもの精神科が認知されるにつれ、患者数もどんどん増えていきました。仕事についたばかりのころは、患者さんが少なくて1日に1人か2人に会うだけでしたが、退職するころには、待機患者さんがとても増え、初診患者さんが年間1、000人を超えました。精神科の場合、「盲腸で手術をして終わり」みたいにはいきません。ずいぶん時間がかかります。スタッフがなかなか増えないから、患者さんの要望に十分に応じきれないような状況になっていきましたので、本当に毎日が必死でした。
日本が高度成長を遂げて豊かになっていくにつれ、子どもの心の問題が増えていくのを臨床の現場で肌で感じていました。今思うと、そういった変化にもっと早く気がついて、毎日の業務に追われるだけでなく警鐘を鳴らすような具体的な動きはできなかったのか、と悔やみます。
病院勤務を終えて
退職の時、皆さんからきれいなお花をいただきました。あんなにたくさん花束をもらったことは人生で初めてでした。もうほんとに感激。いろいろなプレゼントを親子で持ってきてくださったり。「えー私なんかに」と思いながら、澄まして「ありがとうございます!」とお礼を言ってたのですが、心の中では涙ぽろぽろでした。職場のスタッフも、何か記念品をと言ってくださったので、「『禁じられた遊び』のオルゴール下さい」と頼みました。元気がなくなったら、そのオルゴールを聴きます。そうすると、「よーし!明日もがんばるぞ!」という気持ちになります。
『科学の知』と『臨床の知』
一般的に勉強って『科学の知』を学ぶことだってみんな思い込んでいませんか?それ一辺倒になることは危険です。14縲・6世紀のルネッサンス、17世紀の科学革命、そして18世紀に産業革命が起こり、機械文明や科学技術がどんどん進み、車や飛行機、テレビや携帯電話といった便利なものを私たちは手に入れました。これらによって私たちは幸せを手に入れたように思っています。しかし、実は地球環境や心の問題などマイナスの側面がどんどん出てきて、未来に対する不安や危機感が社会を覆いつつあります。
哲学者の中村雄二朗氏による提案ですが、そもそも、『科学の知』がどうしてこんなに世界中に広まったのかというと、「普遍性」と「論理性」と「客観性」があるからだと述べています。これら3つの特性で『科学の知』は、近代や現代で多くの人々に支持されました。しかし、これだけでは解決できない問題がたくさん出てきています。
『科学の知』に対する反省として『臨床の知』という考え方があります。私なりに考えた言葉で表現すると、普遍性に対する「個別性」、論理性に対する「多義性」、客観性に対する「相互作用性」ということになります。これからの時代、『科学の知』だけではなく、『臨床の知』という考え方も取り入れる必要があると思います。もちろん『科学の知』を否定するのではありません。基礎として大切な考え方ですが、両方のバランスが重要です。学生のみなさんには、『科学の知』と『臨床の知』のバランスのとれた考え方を本学在学中にぜひ身につけてほしいと願っていますし、私なりに少しでもお役に立ちたいと思っています。
人間心理学科 発達心理学領域 前田 志壽代講師
1968年、大阪市立大学文学部卒業。1969年から大阪市立小児保健センター精神神経科、1993年から大阪市立総合医療センター児童青年精神科に心理士として勤務、2006年に退職。2007年、関西学院大学大学院 文学研究科修士課程 終了。2008年より神戸学院大学人文学部講師。
研究テーマ:「人間の生涯にわたる発達」「臨床心理学における臨床の知と科学的な知の融合について」「子どもの機能性視聴覚障害に関する研究」など。