Vol.27 (2015年10月)
三田 牧

魚屋さんの店先で学んだ文化の違い

取材 揚田 早紀/撮影 佐伯 一誠

 

 

市場に圧倒的な違いを感じる

1995年、調査の下見のためにはじめて沖縄に行きました。といってもほとんど旅行者のようなものでしたが、とにかく沖縄のいろんなところを見るのが目的でした。そのなかでいちばんときめいたのが「マチグワー(市場)」でした。
沖縄が日本に復帰して20数年経っていましたから、街の様子も日本化していて、スーパーでも日本の他の地域と同じようなものが売られている。ところが市場に一歩入ると圧倒的に違う。大和化していく、つまり日本化していくのをきっぱりと拒んでいる部分がある。それを象徴しているのが市場の匂いです。いろんなものが入り交じった匂いで、それまで私が嗅いだことのない独特のものでした。この「違う」感覚、それに私はドキドキするんです。どこか自分とは異なった世界のなかに、ひとり異質な存在として入っていく。そこで自分が変わっていくのがすごく好きなんです。
直感的に感じた日本との「違い」。それを生活文化という視点で解き明かしていくことにしました。そこで選んだのが魚です。魚なら、生産と市場が直結している漁師町がいいと思い、糸満に行きました。

 

糸満市場の包容力

糸満についた翌朝、7時から開かれるセリを見に行きました。魚がずらっと並んでいてみんな忙しそう。方言が飛び交っているけどなにを言ってるのかわからない…。とりあえず写真を撮ったりしてると、酔っぱらった漁師のおじさんが「ネーネー(お姉さんという意味の方言)」と声をかけてくれて。釣ってきたマグロのお刺身を漁師さんたちが食べていたんです。それで一緒に食べないかと。食べたいって言ったら、いつの間にか私の周りに漁師さんの輪ができていて。若い女の子と一緒に食べて楽しいなという感じで。突然現れた私を受け入れてくれて、すごくうれしくなりました。このできごとがあって、ここでフィールドワークをすれば絶対うまくいくと確信しました。
その日の午後、市場に行きました。おずおずと歩いていると、おばさんが声をかけてくれた。お客だと思われたんです。それで、魚を買いながら「京都から来た大学生で、糸満アンマーについて勉強したいんです」と話をした。そしたら、「明日もおいでよ」って言ってくれた。
それ以来、毎日おもしろくてしかたなくて。毎朝セリに行くたびに知り合いが増えていく。市場を歩いているとあちこちで食べものをくれる。沖縄で「ばくだん」って呼ばれているおにぎり(丸いおにぎりをかまぼこで包んである)やバナナとか缶コーヒーとか。それらを「ありがとう」と言ってとにかく受け取る。そうするうちに地域の人たちとの繋がりがどんどんできていく。私の名前を知らなくても「ヤマトグワー(「大和小」本土の子どもという意味の方言)」とか「ヤマトのネーネー」と呼んでくれる。そして、親しくなっていくと「京都のまきちゃん」とか、「まーきー」呼ばれるようになる。
自然体で地域に溶け込むことができたのは、実は魚屋さんの「アンマー(お母さんという意味の方言)」たちが保護者になってくれたからです。ある社会に他所から来た大学院生の女の子が1人で入っていくのは常識的に考えると非常に危険じゃないですか。でもこのおばさんたちが保護者になってくれたことで、怪しい人は寄ってこないし、漁師さんも安心して私にしゃべることができたんですね。

 

魚を売りながらフィールドワーク

店先で交わされる売り手とお客さんのやりとりを調査するために、おばさんがやっている魚屋さんでお手伝いをしました。セリで魚を仕入れてきたおばさんと一緒に市場に行く。それからお店に魚をならべて8時くらいに開店。お刺身を包んだり、お金の計算したり、愛嬌ふりまいたり…。私がお手伝いするのはフィールドワークが目的です。魚が何グラム売れたとか、お客さんとどういうやりとりをしたとか、それを記憶するのがたいへん。店頭で販売している最中にメモなんかとれないからとにかく覚える。会話はけっこう覚えているけど数字を覚えるのがたいへん。客がいなくなったときや休憩時間に裏へ走っていって、とにかく数だけでも吐き出すようにメモし、その晩きっちりノートに書いて整理しました。おかげで厖大なデータを入手することができました。
市場や糸満に関する文献をいろいろ読みましたが、読んで知ることと現地に行って知ることがぜんぜん違うので、文献を読んだだけではわからない。それが現場に立ってみるとビシビシわかってくる。そして、そこに数カ月いれば、論文を書くときにいちばん重心に据えなければいけない問題はこれだ!というのが立ち上がってくる。「市場にある沖縄らしさとはなんだ」という、最初のすごく漠然とした問題意識。それをどうやって調べていくか、それをどう説得的に説明できるかは、現場で調査を続けていてだんだんわかってきたことです。行く前に立てた計画ははじめの指針でしかない。それはきっぱり捨ててしまったほうがいいかもしれません。

 

アンマーの教え

現場に入ると自分が変わっていき、新しい自分になって帰ってくる。私の場合、沖縄が好きすぎて、取り込みすぎて、わけわからない人間になって帰ってきた。年月を経て、いろいろな問題を抱えた大和と沖縄の関係を踏まえたうえで、私のポジションでできることはなんだろうという、沖縄と自分自身の距離の置き方もわかってきました。けど、糸満のアンマーたちにすごく育てられたという思いは変わりません。
彼女たちからいちばん影響を受けたのは、「なにをしても生きていける」という、強く前向きな考え方です。アンマーには自分の腕で生活を支えるたくましさがあった。たとえ夫が死んでしまっても、再婚はせずに子どもたちを1人で育て、老いるまで魚を売っていく自立した女性たち。そういう人たちの「働けばいいさあ」という声が、私を励ましてくれました。
研究者として生きていくことはたやすくありません。これから私はどうなるんだろうと、いつもどこかに不安な気持ちがありました。でも、糸満のアンマーの教えに後押しされて、めげることなくここまで来れたのだと思います。

 

 

三田 牧

三田 牧 (みた まき)人文学科 人類学領域 教准教授
兵庫県に生まれ、京都で育つ。2002年3月京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。2006年1月博士(人間・環境学)取得。日本学術振興会特別研究員(DC2)、京都文教大学教務補佐員、ベラウ(パラオ)国立博物館客員研究員、国立民族学博物館機関研究員、日本学術振興会特別研究員(RPD)などを歴任。2013年3月より神戸学院大学人文学部准教授。1996年より沖縄県糸満で漁撈文化について学ぶ。その後、糸満漁民の足跡を追いパラオ(現地名ベラウ)へ赴き、漁撈文化について学ぶとともに、パラオの人びとの日本統治経験について聞き取りを行う。
2015年10月第37回沖縄文化協会賞(金城朝永賞)受賞。