2008年3月号

ものづくりへの思いと、人との出会い

世界の子供たちから熱い視線を浴びているアニメ大国日本。中でも劇場アニメの人気は高く、日本の有望な輸出産業となっている。そんなアニメ制作の現場で活躍する先輩を追った。
(文 胡中祥穂/撮影 横畠亜沙美/編集 佐方麻織)

 

新宿からJR中央線の快速で15分、西荻窪に着く。新宿と比べほどよい賑やかさにほっとする。西荻窪のある杉並区は、文化的なエリアとして知られているが、実は日本にある約400のアニメスタジオのうち70あまりが区内にあるという、世界有数のアニメスタジオ集積地でもあるのだ。
目指すT2スタジオのオフィスまでは徒歩10分。駅前の商店街を抜けると住宅街が広がる。道に迷いながらなんとかたどりつく。
ひとけのないビルのエントランス、エレベーターに乗って4階へ。扉が開くと『関係者以外立ち入り禁止』の文字が目に飛び込んでくる。恐る恐る扉を開けると、アニメのポスターが壁に数枚張ってあるうす暗いオフィス。中央にはテントのようなもので覆った空間。
暗い中からパソコンのキーボードをたたく音が…。目にとまったスタッフに用件を伝える。しばらくするとその奥から刀根さんが現れた。

 

コンピュータで作られるアニメ

「アニメの絵づくりはとてもデリケート。部屋が明るいとコンピュータのディスプレイに他のものが写ってしまうから、写り込まないように暗くしている」と刀根さん。彼が勤務しているT2スタジオは、スタジオジブリや手塚プロダクションといったアニメ制作会社から、作画・背景美術・撮影など制作工程別に仕事を請け負う専門スタジオだ。
アニメは分業で作られていく。まず、アニメ制作会社からT2スタジオに持ち込まれた手書きの絵は、スキャナでコンピュータに取り込まれる。それに塗り絵のようにコンピュータ上で色をつけていくのがペイント担当者だ。
背景をバックに人間や動物が動くのがアニメだが、ペイント担当者が仕上げた背景画とパラパラマンガのように描かれた人物などの絵をパソコン上で合成し、さらに陰影をつけるなどして立体感をもたせる。それが刀根さんの仕事であるコンポジッターだ。その出来によって作品のクオリティが左右されるとても重要な役割だ。「スチームボーイ」「FREEDOM」「Topをねらえ!2」「鉄コン筋クリート」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」など、刀根さんはここで数多くの有名な作品を手がけている。

 

人生の転機

「けっこう伊川谷もすごかったですからね。大学前のローソンは半壊するし、周りの光景があまりにすごくて何が起こったのかわからなかった。3日間水が出なかったり、食べものがなかったり…。どうやって生きていこうかって」
大学2年生のときに阪神・淡路大震災にあった刀根さんは、人生ではじめての危機的状況に直面し、人生観が変わる。

昔ながらの手作業は皆無。ほとんどの仕事はコンピュータで。

「頼れる人が近くにいなかったから、地震の数日後に明石まで歩いていき、姫路まで電車に乗って、最後は新幹線に乗って福岡の実家にたどり着いた」
しばらくはショックで何もできなかったが、メディアを通じて震災の全容が徐々に伝わってくる。とりわけ被害が大きかった長田に友人が住んでいたこともあって、数週間後、思い立ってボランティアをするべく長田へと向かった。
「一瞬にして瓦礫の山となった長田の街。あまりに悲惨な光景に言葉を失いました」

翌年、アイルランドのアルスター大学へ短期留学する。
「アイルランドにはそれまで興味なかったんですが、急に行ってみたくなって…。今思えば、震災での経験が、引っ込みがちだった自分を変えたのかも。その頃、アイルランドでは紛争があって、休戦協定が結ばれた直後だった。崩れたビル、検問所、街中をパトロールする軍の装甲車とか生々しかった。震災のときとは違う意味で価値観が変わりした」
今の仕事に繋がるきっかけに出会ったのはその頃だ。3年生のときに受講した「コンピュータ実習」の内容はホームページの制作。自分の作ったものが一瞬で全世界に発信されることに驚き、世界のコンピュータが網の目のようにつながっているインターネットやITの世界に魅了される。
そして迎えた就職活動の季節。折りしも時代は就職超氷河期。厳しい状況を打開するため人文学部在学中に、デジタルハリウッド大阪校の立体CGを学ぶコースに入学。通学のため半年間大阪で暮らす。
「画像を加工するソフトなんか、目をつぶってもできるくらい必死で勉強した。でも、いくらがんばっても上には上がいる。やっぱり絵心がないとダメですね。同じソフトを使っているとは思えないほど、全然違う。才能の違いを嫌というほど見せつけられた」
挫折を味わった刀根さん、大学そして専門学校に通いながら就職活動を行ったが、思うように内定がもらえない。体調を崩したのを機に実家へ帰ることに。約1年間、ゆっくりとした時間を過ごした後、北九州に本社があるパソコン販売会社に就職する。
「新店舗で鬼のように働かされた。朝7時くらいに出社して夜11時、12時くらいまで。稼ぎ時にはろくに休日も取れなかった」
そんな中、東京勤務を命じられる。
「けっこうチャレンジ精神が旺盛だったから、期待されたんでしょうね。でも、東京での仕事が輪をかけたようにきつくて毎日泣きそうでした。上司も厳しい、周りの人も冷たい。販売成績も伸びなかったし」

 

ものづくりの世界へ

趣味で自作のCG作品などを公開していた自分のホームページを見て交流するようになったネット友達から、「知り合いが長野にアニメ関係の会社をつくるけど来ないか」との誘いを受け、転職を決意する。
「ものづくりがしたいという想いがまだどこかにあった。それがこの世界に足を踏み入れたきっかけ。オフィスには社長と社員の僕、そして外注のひとの3人。いわゆるベンチャー企業ですね」
主な仕事は、観光PR映像や地方のCM、子供向け映像の製作などであった。
「アニメもやりました。そのときの僕はコンピュータで絵を作ることならすべて関わるなんでも屋さんでした。給料は下がったけど楽しかった」
しかし、会社は経営がうまくいかず1年ほどで解散する。アニメーション部門の元メンバーが集まって、お金を出し合いアニメーションの会社をつくることに。刀根さんもそこに籍を置く。
職人が集ってとりあえず会社という看板を作って、あとは一人ひとりが自分のネットワークを通じて仕事をもらうというかたち。だから僕みたいな何のコネクションもない人間にはホントに仕事がなかった。完全出来高制だったんでかなりきつかったですね」
どんどん生活が厳しくなり、さすがにまずいと考え始め、会社の先輩である伊藤秀樹さんに相談すると、「君はアニメ映像の仕事が向いてるよ」といわれ、紹介されたT2スタジオへ入社することになる。

 

スタジオジブリで鍛えられる

卒業後は廻り道をしながら、今ではアニメの専門職として食べている刀根さん。この道のプロとしてやっていく自信がついたのは、いつなのだろうか。
「スタジオジブリですね。長野の会社にいた時にジブリに出向して、映画『千と千尋の神隠し』の仕事を手伝ったんです。僕はまったくアニメのことを知らなかったので、どうすれば僕にアニメの技術を教えることができるかと考えた末、『ジブリに行くのがいいだろう』って飛ばされた」
アニメの技術もないのに飛び込んだジブリは、とにかく想像を遥かに超えた場所だった。
「観客の誰も気づかないような場面を3週間かけて作りました。ほんの1秒に満たないぐらいの場面。手書きの元絵をデジタル化する時、細かいところを山のようにダメだしされました。デジタルは0か1か、白か黒かの世界。ところがジブリでは鉛筆で書いた手書きの線の味わいといったアナログ的なものを、デジタル化する時に消すなと。それを表現するのも、加工するのも大変。よく怒られましたけど、実はなぜ怒られるのかわかってなかった。あまりに怒られるもんだから、ある時『なんでダメなのかわかりません』とはっきり言ったんです。そうすると、どこがどういけないのかきっちりと教えてくれた」
アニメーションの基礎を教えてくれたのが、CG(コンピュータ・グラフィックス)作画部門監督の片塰満則さん。「上流にいるCG部門の人たちは哲学的で、思想家であり、ロジカルなんです。CGはもともとマウスを動かして作るのではなく、数式を書いて組み立てていくもの。だから、ロジカルなものの考え方が重要なんですね。片塰さんには具体的な方法ではなくCGの哲学を教えてもらいました。とにかく実際のものを観察しろとか、人間関係の重要性とか。その時、聞いた話をノートに書き留めて、それは僕の宝物ですね」
卒業後、きびしい環境の中で社会人のスタートを切った刀根さん。人生の荒波に翻弄されながらも、人との縁によって繋がっていった人生。その縁をチャンスに変えたのは紛れもなく刀根さん自身なのだ。その中でずっと失われることなくあるもの、それはものづくりへの思いだ。
『ひとつのことをずっと大事にし続けること』の大切さを知った。

 

 

卒論ダイジェスト

コンピュータ・グラフィクス ─アートへと至る道─

この論文では、近年、私たちが当たり前に捉えているコンピュータ・グラフィクス(以下CG)の存在を、実験画像や商業映像ではなくアートとして捉えることが出来ると提示している。
まずCGがどれだけ自分たちの生活の中に浸透しているかをCMの調査で調べ、さらに3章ではエンターテイメントな分野として日本のゲームやアニメ、ハリウッド映画などについても触れて説明している。
5章の結論では、CGが何であるかという概念付けと、どういったCGがアートであるかという価値判断を試みている。結果として、CGには「アートCG」というジャンルは成立せず、見解によっては商業的映像でも芸術として判断できるとした。
幅広い分野で存在するCGは、従来の美術的な価値基準では判断できないと締めくくっている。