2014年10月号

患者さんとともに言葉を取り戻す

人のためになにかをするのが好きな自分が大学で見つけた天職
(文・写真:真鍋 優海)

 

7月の夕方、緑が少ない大阪市内はとりわけ暑い。環状線森ノ宮駅を降りて強烈な日差しを浴びながら汗を拭き拭き歩くこと5分、森之宮病院にたどり着いた。正面玄関から入ると「こもれび広場」という待合スペースが。大きな窓から日の光が差し込む開放的な雰囲気が病院らしくない。エレベーターで3階へ。受付で用件を伝えるとほどなくして白衣姿の石川さんが迎えてくれた。
石川さんの案内で施設見学をさせてもらった。一般的に病院のイメージは「白くて清潔」だが、それは「冷たい」と表裏一体だ。しかし、ここは黄緑・ピンク等のカラフルな床や壁、また木目の手すりなど温かみを感じる。リハビリテーション室も見学させていただいた。黙々とリハビリに取り組む患者さん、そしてそれに寄り添う療法士。そうだ、この病院はままならぬ自己の肉体と向き合い、機能回復のために自己と闘う場なのだ。
石川さんに案内されて言語聴覚室へ。いつもは患者さんと対面しリハビリを行う小さな部屋をお借りしてインタビューを行った。

 

チームでリハビリに取り組む

リハビリテーションは、発症から2週間~1ヵ月の急性期、2週目ぐらいから3ヵ月間の回復期、リハビリで獲得された機能や能力の低下を防ぐ目的である維持期の3つに分けられる。
森之宮病院では主に脳卒中後の後遺症がある患者さんの回復期のリハビリテーションを専門に行っている。リハビリスタッフがチームを組んで、患者さんをサポートしてリハビリテーションを行っていく。医師を中心に患者さんの担当スタッフ(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護師、社会福祉士)が集まりカンファレンス(打ち合わせ)を行う。そこでは、患者さんの現在の状況や今後の方針を話し合い報告し情報を共有する。石川さんの仕事である言語聴覚士は、後遺症のなかでも失語症・構音障害・嚥下障害といった言葉に関する障害や首より上の麻痺などを担当する。
失語症とは、言葉は聞こえているが意味がわからない、発音ができない、字が読めないといった障害だ。たとえば、消しゴムを見て「字を消すもの」であることはわかるのだが「消しゴム」という物品名が出てこない。また、「消しゴム」と聞いて目の前に並べられたものから消しゴムを選ぶことができないなんともやっかいな症状だ。
「海外に放り出されたようなものだと思ってください。言葉は聞こえるけど、意味はわからないし、喋ることもできないですよね。また、ぐちゃぐちゃの引き出しをイメージしてください。どこになにが入っているのか、どこにしまったのかがわからない状態です。言葉の引き出しがうまく開けられないので言葉が出てこないんです」
構音障害は顔や舌に麻痺が出てうまく話すことができない障害、嚥下障害は飲み込みに関する障害だ。
患者さん1人に対し約1時間、1日にだいたい5人ほどの患者さんとリハビリに取り組む。失語症の患者さんとは、絵が描かれた何枚かのカードを見せて「りんごはどれですか?」とたずねて該当するものを指さししてもらったり、「りんご」という文字を読んでもらったりもする。構音障害では、麻痺している舌を直接触ってリハビリするし、嚥下障害では食事の際に補助もする。
「毎日忙しくてたいへんだけど楽しいこともあります。患者さんが回復していくようすを目の当たりにすることができるし、患者さんが退院時にありがとうと言ってくれるととてもうれしい。退院していった患者さんが会いに来てくれたり、手紙をくれることもあるんですよ」

 

祖父の病気で知った言語聴覚士

祖父が脳卒中の後遺症でうまく話すことができなくなった。高校のとき、母親から病院でのリハビリ内容を聞いたことをきっかけに、言語聴覚士という仕事があることを知った。もともと自分を主張していくことより、他人をサポートするほうが性にあっていた石川さん。このときから将来の道として、リハビリの手助けをする言語聴覚士になることを視野に入れはじめた。
大学では心理学を学びたいと思って探したところ、神戸学院大学の「医療心理学」が目に入った。聞いたことがなかったことと、心理学の観点から医療の分野をとらえるところに魅力と興味を感じ進学した。人間心理学科ができて2年目のことだった。
心理学の授業の内容は理解するのにたいへんで一筋縄ではいかなかったが、それもおもしろかったという。
「そんなに優等生ではなかったと思います」
学問もほどほどに、かけもちでアルバイトをしたりサークルのメンバーと遊んだり、石川さんいわく普通の大学生活だった。そして3年生の夏休み、医療心理学領域のプログラムで病院へ実習に行った。
「高次脳機能障害をはじめ、講義だけではなかなか理解が難しいものがありましたが、病院実習で実際に患者さんと接したことで、理解が深まりました。また、医療現場で働く人を間近で見たことで、言語聴覚士として働くイメージも明確になり、言語聴覚士への思いが強まるきっかけになりました」
言語聴覚士になるためには、4年制大学を卒業したあとに2年間専門学校へ通い国家資格をとる必要がある。大学の4年間は回り道になるかもしれないと焦ったこともあった。しかし振り返ってみれば、大学時代は無駄ではなかった。
卒業論文では自分の経験をもとにテーマを決めた。たくさんの文献を読んでまとめる作業は、今の仕事にも役立っている。卒業論文を書くことで自分を客観視できたことやコツコツ進めていく大切さを学ぶことができたこともよかった。
就職活動のシーズンを迎え、「早く社会人になりたい」と思い数ヶ月就活をしてみたが、就きたい仕事を見出すことはできず、気持ちは言語聴覚士へどんどん向かっていった。
人間心理学科卒業後、新大阪にある大阪医療福祉専門学校の言語聴覚士学科へ進学。そこでは、理系学部の卒業生が多かったが、主婦や元郵便局員など社会人も多く年齢層もバラバラで、社会人学生の熱心さに刺激を受けた。
講義と実習中心の授業で、数ヵ月間の病院実習もあった。試験に向けて、臨床医学や言語学、社会科学など幅広く学び、無事合格。国家資格をとり、森之宮病院へ就職した。
「大学の実習で話をよく聞いていたこともあり、森之宮病院のイメージが強かった。ちょうど言語聴覚士になるかならないかを悩んでいるときだったので余計に。実際に働いているところを見て、こんなふうに働きたいと思ったんです」

 

毎日が勉強

石川さんが森之宮病院で言語聴覚士として働きはじめて4年。言語聴覚士になるために大学、専門学校と勉強してきたが、なってからも勉強の日々だという。患者さんに実際に接してみると、さまざまな症状が重なっていたり、重症度でもまったく違い、専門学校で勉強してきた教科書通りの人はひとりもいなかった。また患者さんの症状だけでなく、退院後のことも考えてリハビリを進めていかなければいけない。知識があっても、思った以上にわからず戸惑うことが多い。
患者さんと接するうえで気をつけていることは、すべてわかっているような態度になってしまわないこと。多くの患者さんは人生の大先輩、だから敬意を払う。また、機械的になってしまわないようにも気を使っている。リハビリテーションにいつもやる気を持って取り組んでほしいから、患者さんにとって関心のあることを話してもらうこともある。だから時事ネタは欠かせない。
「責任の大きい仕事で日々勉強…しんどいのが正直なところです。しかし、自分がかかわったことで患者さんの機能が回復していくのが目に見えてわかる。そして、人生の先輩から教わることもたくさんあります」
まだまだわからないことだらけの言語聴覚士という仕事を極めることが目下の目標。「自分の力だけではできないことばかりなので、もっとたくさんの経験を積んでいきたい」
その先を考える暇はなさそうだ。

私は、大学の勉強はたいへんと思っているし、就職活動に対しての不安を毎日のように感じている。しかし、石川さんの話を聞くと就職はゴールではなくはじまりなのだと実感した。勉強することはいつまでも終わらない。し続けていかなければならないのではなく、し続けていけるものなのだ。「学びたい」という積極性を今から持っていきたい。

 

言語聴覚士

医師の指示のもとに、音声・言語・聴覚・嚥下機能に障害のある人に対して、検査・訓練などを行う人または資格。患者の家族に対する指導・援助も業務に含まれる。「言語聴覚士法」で定められた国家資格で、厚生労働省指定の財団法人医療研修推進財団による言語聴覚士試験の受験資格には、指定の学校または養成所において、3年以上言語聴覚士として必要な知識・技能を修得した者などの制限がある。例年2月中旬に筆記試験、3月下旬に合格発表。合格者には言語聴覚士免許が交付される。

「主要な資格がわかる事典」(講談社)より。

 

森之宮病院

「日本有数のリハビリテーション医療」と「高度化した急性期医療」を実践する新しいスタイルの病院。日本トップレベルの療法士(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士)約180名と専門性の高い医師、看護師、ソーシャルワーカーなど、チームによる質の高いリハビリテーションを提供している。
日本ではじめてすべての病棟にリハビリテーション室が設置された。そこでは生活レベルでのリハビリをめざしている。さまざまな専門スタッフが、生活面に配慮したチーム医療を進めている。2007年には、福祉的な配慮がされた施設を表彰する第14回大阪・心ふれあうまちづくり賞の大阪市長特別賞を受賞している。