2019年3月号

人命を救う救急隊員として活躍中。秋祭りなど地域のためにも頑張りたい

18歳で地元の消防団に入って活動し、大学卒業後は西宮市消防局で活躍。
現在、救急救命士の国家資格取得のために、
半年間、三木市の消防学校で猛勉強のまっただ中。
そこで土日に帰る明石の自宅にお邪魔して、話を伺いました。

取材・文/永田 舞

 

Profile

1988年明石生まれ。大学卒業後、西宮市消防局に入局。警防隊(=消防隊)を経験した後、救急隊へ異動。現在、救急救命士の国家資格取得のために猛勉強中。地域活性化のためにも取り組んでいる。

 

消防士になるために、生まれてきた人なのでは?

そもそもなぜ消防士になろうと思ったのか?
きっかけは、明石での地元活動にある。祭りも盛んな明石の大蔵谷には、伝統的な獅子舞があり、6歳のときから参加していた廣田良輔さんは、18歳のときに、祭りのメンバーである地元の人に声をかけられて、ごく自然に消防団に入った。
明石駅前あけぼの商店街の火災をはじめ、何件かの火災現場を体験した。そこで消防士の仕事の魅力を知り、消防関係者とのつながりを深めていくなかで、消防士への夢をふくらませた。
さらに大学時代には、松山市で行われた全国の消防団に入っている学生のスピーチコンテストに出場する機会があり、これも消防士志望を強めることになった。

地元愛の強い廣田さんは、大学卒業後、地元の消防局を希望していたが、先輩から「試しにどこかの消防局の採用試験を受ければ」と勧められ、西宮市消防局を受けたところ、見事に合格してしまった。
「公務員試験の準備もしてないのに、受かって自分でもびっくりしました」と振り返る廣田さん。西宮市は人口増加中の中核都市であり、やりがいも大きいと考えて、西宮市消防局に入ることにした。
話を聞いていると、廣田さんは消防士になるために生まれてきたのではないかと思ってしまう。

 

消防隊員としてスタート。さらに救急隊員として活躍!

西宮市消防局には、消火活動に当たる警防隊をはじめ、人命救助に当たる救助隊、救急車に乗ってかけつける救急隊、火災の危険性を減らす予防課などがあるが、新人はまず警防救助係に配属され、消防車に乗って火を消す訓練を徹底的に叩き込まれる。
完全防備のフル装備にすると20㎏にもなる。相当な重さだが、それよりも大変なのは炎の熱さだ。そして、仕事はつねに命がけである。
警防救助係として3年半勤務した後、廣田さんは消防学校での訓練や救急課程コースでの勉強を経て救急隊員になった。救急車に乗って救急現場にかけつける毎日である。
救急隊員としてのやりがいは?
「心肺停止の方や重症の方に適切な処置ができ、その方が社会復帰できたと聞くと嬉しいですね」
また、医師から「このまま放っておいたら危なかった。良くやってくれたね」と言われたときも、やりがいにつながるという。

訓練を終えて休憩中

 

所属している警防競技会の本番。放水しています

 

救急救命士の国家資格取得をめざし、猛勉強の日々

救急隊員として活躍してきた廣田さんがいま取り組んでいるのが、国家資格である救急救命士への挑戦である。
救急救命士とは、医師の指示のもとで、心臓が止まっている人に薬剤を打つための点滴や、呼吸が止まった人のために口の中に管を通す送管技術、糖尿病の人のための低血糖対策などの特定行為ができる国家資格である。

そのため、2018年9月から三木市の消防学校で猛勉強の毎日である。土日の休みに帰るときにもテキストを持ち帰り勉強を続ける。そのテキストの分厚さと内容の濃さにはびっくり。しかもそれが2冊もある。

「私自身、人生でこれほど勉強したことはありません」と笑う。3月10日が国家試験日、発表は3月29日。人文学部生の皆さんがこの新聞を受け取るときは結果も出ているはずだ。

所属している救急技術競技会で入賞したとき

 

若い人たちが祭りに参加しやすい環境づくりを

冒頭でも触れたように、廣田さんは明石の大蔵谷獅子舞に6歳から参加しているが、今では祭りのリーダー的な存在である。少子化の影響で祭りの継続が全国的に難しいと言われる中で、大蔵谷地域は今も連綿と続いている。
「祭りで獅子舞の演技ができるように、子ども教室をやっています。地域の発展を担う子どもを育てるのは、私たちの役割ですから」
地域の祭りは大人が楽しむだけでは駄目。親が子どもを預けても安心だと思ってもらえるように、若い人が参加しやすい環境をつくってきたいと意欲を燃やす。
地域の町会で安全安心部会長もやっている関係もあり、今後は、消防局で身につけた消防や救命の知識を地域の人に還元していきたいと考えている。

県指定重要無形民俗文化財でもある三人継の土台をしています

 

2017年稲爪神社の神輿に参加

ボランティア活動に力を入れていた大学時代

学生時代は「あまり勉強してない」と語る廣田さんだが、では何をやっていたのか?
「ボランティア活動に力を入れていましたね」
消防団の活動、地域のお祭りについては先ほど紹介したが、その他にも、空手教室を開いたり、自然学校のリーダーなどをやっていた。
「ボランティアを通じていろいろな人と触れ合うことができたのが大きかった。コミュニケーション能力が高まり、社会人になってから役立っています」
在学中に本学の人文学部長賞を2回受賞している廣田さんから、後輩へのメッセージをいただいた。

「将来やるべき道が見つかれば、それに向かって努力をおしまずに進んでください。まだ何をしていいか分からない人には、ボランティア活動をおすすめします。時間の無駄という人もいるけど、長い目で見れば、ボランティアを熱心にやって良かったと後になって思うはずです」